バガン:10,000基の仏塔が立ち並んだ都市が、地震と政変で失われていく
11〜13世紀、バガン平原には10,000基を超える仏塔・仏教寺院が建ち並んでいた。現存するのは約3,500基。1975年の大地震と、その後の軍事政権による不適切な修復で多くが改変された。2019年にUNESCO世界遺産登録されたが、2021年のクーデターで保護計画は停滞している。
- 地震(1975年で約2,000基が損傷)
- 軍事政権による不適切修復(コンクリート使用)
- 2021年クーデター以降の保護停滞
- 観光開発による周辺環境の変化
遺産の概要
ミャンマー(ビルマ)中部のエーヤワディー川沿いに広がる平原。9〜13世紀にパガン王朝(バガン王朝)の首都として栄え、最盛期には半径60km²のエリアに約10,000基の宗教建造物が建ち並んでいた。
現在も約3,500基が残り、夜明けや夕暮れ時に熱気球から見る仏塔群のパノラマは、世界でも類を見ない景観だ。
10,000基の仏塔はなぜ建てられたのか
パガン王朝の支配者と貴族たちは、仏教の「功徳(プン)」を積むために仏塔・寺院を次々と建立した。建立者は建設規模に応じた功徳を得ると信じられ、王族から裕福な商人まであらゆる階層が参加した。
この「信仰による建設ラッシュ」は同時に深刻な経済的矛盾を生んだ。宗教施設に寄進された土地は免税となり、課税地が次第に減少。財政基盤が弱体化した王朝は1287年のモンゴル(元)の侵攻に抵抗できなかったとされる——信仰が国家を滅ぼしたとも言える皮肉な構造だ。
1975年大地震と「修復という破壊」
1975年7月8日、バガンを直撃したリヒタースケール6.5の地震で約2,000基が損傷。
その後、ネー・ウィン将軍率いる軍事政権は独自の修復を行った。問題は工法だ:
- 歴史的な煉瓦の上にコンクリートを塗布
- 崩れたドームを、元の形とは異なる形状で再建
- 内部の漆喰画の上に新たな塗装を施した
UNESCO はこの修復を「歴史的完全性を損なうもの」として批判したが、軍事政権は外部の介入を拒否した。この問題が尾を引き、長年UNESCO世界遺産登録が保留されていた(2019年まで非登録)。
政治的不安定と保護の現実
2019年に世界遺産登録が実現したが、翌2021年のクーデターでミャンマーは再び軍政下に。
UNESCOとの保護協定は事実上機能しておらず、現地への研究者・記者のアクセスも制限されている。遺産の保護計画は停滞し、新たな開発や修復が適切な指導なしに行われるリスクがある。
アクセスの現状
現在、日本の外務省はミャンマー全土に「危険情報レベル2(不要不急の渡航はやめてください)」を発出している。観光目的での訪問は推奨されない状況だ。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 1613 |
| 登録年 | 2019年 |
| 最盛期仏塔数 | 約10,000基 |
| 現存数 | 約3,500基 |
| 1975年地震 | リヒタースケール6.5、約2,000基損傷 |
| 現在の政治状況 | 2021年クーデター後、軍事政権下 |