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HERITAGE // 世界遺産・人類の記録アーカイブ 文化遺産
HRG-008 2026-06-09

バガン:10,000基の仏塔が立ち並んだ都市が、地震と政変で失われていく

所在地 ミャンマー・マンダレー地方域バガン
時代 9〜13世紀(パガン王朝)
UNESCO登録年 2019年
UNESCO基準 (iii) (iv) (vi)
保全状態 保全状態:要注意
UNESCO ID #1613 ↗
SUMMARY

11〜13世紀、バガン平原には10,000基を超える仏塔・仏教寺院が建ち並んでいた。現存するのは約3,500基。1975年の大地震と、その後の軍事政権による不適切な修復で多くが改変された。2019年にUNESCO世界遺産登録されたが、2021年のクーデターで保護計画は停滞している。

⚠ 主な脅威
  • 地震(1975年で約2,000基が損傷)
  • 軍事政権による不適切修復(コンクリート使用)
  • 2021年クーデター以降の保護停滞
  • 観光開発による周辺環境の変化
ミャンマー東南アジア仏教パガン王朝政治的脅威
セキュア通信ログ // HRG-008 AES-256
パッチ
最盛期の10,000基という数は、当時の建設能力の限界に挑戦するほどだった。ひとつの平原にこれほどの宗教建築を集中させた文化的動機は何だったのか——仏教的功徳の蓄積、王権の正当化、両方の側面がある
Dr.石神
1975年の大地震後、ビルマ軍事政権はUNESCOの指導を拒否し、独自の修復を行った。コンクリートを使い、外観を元の形に近づけた。しかし考古学的に言えば、それは破壊だ。修復という名の改変がどれだけの情報を失わせたか
Dr.丹羽
2021年のクーデターでミャンマーは再び軍政下に入った。UNESCOとの協力協定は事実上機能していない。世界遺産に登録されたのが2019年で、その2年後に政変——記録の窓は急速に閉じつつある

遺産の概要

ミャンマー(ビルマ)中部のエーヤワディー川沿いに広がる平原。9〜13世紀にパガン王朝(バガン王朝)の首都として栄え、最盛期には半径60km²のエリアに約10,000基の宗教建造物が建ち並んでいた。

現在も約3,500基が残り、夜明けや夕暮れ時に熱気球から見る仏塔群のパノラマは、世界でも類を見ない景観だ。

10,000基の仏塔はなぜ建てられたのか

パガン王朝の支配者と貴族たちは、仏教の「功徳(プン)」を積むために仏塔・寺院を次々と建立した。建立者は建設規模に応じた功徳を得ると信じられ、王族から裕福な商人まであらゆる階層が参加した。

この「信仰による建設ラッシュ」は同時に深刻な経済的矛盾を生んだ。宗教施設に寄進された土地は免税となり、課税地が次第に減少。財政基盤が弱体化した王朝は1287年のモンゴル(元)の侵攻に抵抗できなかったとされる——信仰が国家を滅ぼしたとも言える皮肉な構造だ。

1975年大地震と「修復という破壊」

1975年7月8日、バガンを直撃したリヒタースケール6.5の地震で約2,000基が損傷。

その後、ネー・ウィン将軍率いる軍事政権は独自の修復を行った。問題は工法だ:

  • 歴史的な煉瓦の上にコンクリートを塗布
  • 崩れたドームを、元の形とは異なる形状で再建
  • 内部の漆喰画の上に新たな塗装を施した

UNESCO はこの修復を「歴史的完全性を損なうもの」として批判したが、軍事政権は外部の介入を拒否した。この問題が尾を引き、長年UNESCO世界遺産登録が保留されていた(2019年まで非登録)。

政治的不安定と保護の現実

2019年に世界遺産登録が実現したが、翌2021年のクーデターでミャンマーは再び軍政下に。

UNESCOとの保護協定は事実上機能しておらず、現地への研究者・記者のアクセスも制限されている。遺産の保護計画は停滞し、新たな開発や修復が適切な指導なしに行われるリスクがある。

アクセスの現状

現在、日本の外務省はミャンマー全土に「危険情報レベル2(不要不急の渡航はやめてください)」を発出している。観光目的での訪問は推奨されない状況だ。


記録メモ

項目内容
UNESCO ID1613
登録年2019年
最盛期仏塔数約10,000基
現存数約3,500基
1975年地震リヒタースケール6.5、約2,000基損傷
現在の政治状況2021年クーデター後、軍事政権下