チキトスのイエズス会伝道所:砦として作られた楽園、一夜にして消えた理想郷
- ボリビア東部の低地に点在するイエズス会の6か所の「縮減(レドゥクシオン)」共同体跡。17〜18世紀にイエズス会士が先住民チキタノ族とともに建設した自給自足の共同体で、スペイン人奴隷商人から先住民を守る「砦としての宗教共同体」として機能した。農業・教育・音楽が教えられた理想郷は、1767年のイエズス会追放令で一夜にして放棄された。
- 所在地・時代: ボリビア・チキタニア地方(1691〜1767年(イエズス会活動期))
- 分類・保全状況: 文化遺産 / 保全状態:良好
- 所在地:
- ボリビア・チキタニア地方
- 遺産分類:
- 文化遺産
- 登録年:
- 1990年
- 保全ステータス:
- 保全状態:良好
ボリビア東部の低地に点在するイエズス会の6か所の「縮減(レドゥクシオン)」共同体跡。17〜18世紀にイエズス会士が先住民チキタノ族とともに建設した自給自足の共同体で、スペイン人奴隷商人から先住民を守る「砦としての宗教共同体」として機能した。農業・教育・音楽が教えられた理想郷は、1767年のイエズス会追放令で一夜にして放棄された。
- 熱帯気候による木造建築の腐食
- 修復技術者・資金の不足
- 遠隔地ゆえの観光アクセスの困難
- 地域開発による周辺環境の変容
遺産の概要
ボリビア東部、サンタ・クルス県の低地熱帯地域(チキタニア)に点在する6か所の伝道所(ミシオン)跡——コンセプシオン・サン・ハビエル・サンティアゴ・サン・ラファエル・サン・ミゲル・サン・ホセ。1691年に最初の伝道所が設立され、1767年に全廃となるまでの76年間、イエズス会士が先住民チキタノ族と共同で建設・運営した独自の文明的空間だ。
6か所の中心部は中央広場を囲む教会・住居・倉庫・工房の配置が共通しており、バロック様式の木造彫刻と先住民の装飾モチーフが融合した独特の建築様式を持つ。
「縮減」という概念——砦としての共同体
スペイン植民地体制下の南米では、先住民が「エンコミエンダ(強制労働制度)」と奴隷商人による人身売買に晒されていた。イエズス会はこの状況に対して「レドゥクシオン(縮減・集約)」と呼ばれる戦略を採った——散在する先住民を一か所に集め、自治的な共同体を形成することで、スペイン人植民者と奴隷商人からの物理的・制度的保護を提供するというものだ。
チキタニアの伝道所はその代表例として機能した。高い壁と組織的な共同体は文字通りの「砦」であり、内部では農業・大工・陶芸・織物の技術教育が行われ、特筆すべきは音楽教育だ——バイオリン・チェロ・フルートなどの西洋楽器の演奏と声楽が本格的に教えられ、先住民の作曲家が生まれた。
1767年——一夜の終わり
18世紀半ばにはイエズス会の政治的影響力の増大を恐れたスペイン・ポルトガルなど欧州諸国でイエズス会に対する敵意が高まっていた。1767年2月27日、スペイン国王カルロス3世はイエズス会の全スペイン領土からの追放を命じる令状に署名した。
令状は数か月かけてボリビア低地の伝道所にも届いた。イエズス会士たちは即刻退去を命じられ、76年間の共同体は文字通り一夜にして放棄された。住民のチキタノ族は残されたが、保護者を失った共同体は急速に崩壊した。
建物の多くは放棄後に密林に侵食されたが、6か所の核心部は20世紀に再発見・修復され、現在の姿を取り戻した。
音楽の遺産——バロック音楽祭
チキトスの伝道所が残した最も生きた遺産は音楽だ。18世紀にイエズス会士と先住民が共同で制作した大量の楽譜(「ボリビアのバロック」と呼ばれる)が修道院の書庫に保存されていた。
1996年から隔年で開催される「チキタニア・バロック音楽祭」では、ヨーロッパ・南米の演奏家がこれらの楽譜を現代の演奏として蘇らせる。270年の時を超えて、先住民とイエズス会士が共作した音楽が石造りの教会に再び響く。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 529 |
| 登録年 | 1990年 |
| 最初の伝道所設立 | 1691年(サン・ハビエル) |
| 活動期間 | 76年間 |
| イエズス会追放令 | 1767年(カルロス3世) |
| 伝道所数 | 6か所 |
| バロック音楽祭 | 1996年〜(隔年開催) |
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