マテーラの洞窟住居:「イタリアの恥」から世界遺産への逆転
バジリカータ州の岩盤に掘られた洞窟住居「サッシ(石の意)」は、人類が連続居住した最古の場所のひとつとされる(9,000年以上)。1950年代、イタリア政府が劣悪な生活環境を「イタリアの恥」として住民を強制移住させたが、1993年の世界遺産登録後に観光地として復活——追い出された住民が戻り始めた逆説の都市。
- 観光地化による居住用途の喪失とホテル・レストランへの転用
- 岩盤の地盤沈下リスク
- 強制移住後に空洞化した区画の管理不足
遺産の概要
イタリア南部、バジリカータ州のマテーラはグラヴィーナ峡谷の縁に位置する都市だ。旧市街「サッシ(Sassi)」は石灰岩の岩盤を直接掘削、あるいは積み上げることで形成された洞窟住居群であり、ユネスコは1993年にこれを世界遺産に登録した。旧石器時代から人が居住した痕跡が確認されており、9,000年以上にわたる連続居住は地中海世界でも稀有な例とされる。
サッシは「カヴェオソ地区」と「バリサーノ地区」の二つの主要集落で構成され、それぞれが峡谷の斜面に沿って段々に連なる。洞窟内部は居住空間として改造されており、かつては人間と家畜が同じ空間で生活していた。水は峡谷から引いた複雑な地下水路システム(チステルネ)で確保されていた。
「イタリアの恥」という烙印
20世紀中頃まで、サッシには約15,000人が暮らしていた。しかし衛生環境は劣悪で、マラリアの感染リスク、乳幼児死亡率の高さ、電気・水道の未整備などが深刻だった。1945年、作家カルロ・レーヴィが著書『キリストはエボリで止まった』でマテーラの貧困を告発し、全国的な注目を集めた。
1952年、イタリア首相アルチーデ・デ・ガスペリはマテーラを訪問し、「これがイタリアの恥だ(È la vergogna d’Italia)」と発言。この一言が政治的契機となり、1950年代から1960年代にかけて、政府は住民を近隣に建設した公営住宅へ強制移住させた。移住は法律(1952年法律619号)に基づく強制措置であり、サッシは事実上の廃墟となった。
追い出された人々が戻る逆説
1993年のユネスコ世界遺産登録は、「廃墟と呼ばれた場所」を一夜にして「人類の宝」と変えた。観光客が増加し、サッシの洞窟は高級ホテル・レストラン・ブティックとして再生された。強制移住から半世紀後、移住させられた住民の子・孫の世代が洞窟住居に戻り始めた——ただし今度は賃料を払って。
この逆説は単純な「復活の物語」ではない。元の住民が戻るのではなく、資本を持った別の主体が「価値化」された遺産を利用しているケースも多い。マテーラは2019年に「欧州文化首都」にも選定され、大規模なインフラ整備が行われた。遺産を「保護」することと、そこに住み続けた人々の生活を「保護」することが必ずしも一致しないことを、この都市は体現している。
洞窟の内部構造と技術
サッシの洞窟住居は単純な穴ではなく、何世代にもわたって改築された複合的な構造物だ。岩盤を掘り下げてできた空間に石を積み、前面にファサードを設けた「半洞窟・半建築」の形態が多い。屋根は岩盤そのものであり、夏は涼しく冬は比較的暖かい——地中海の気候に適応した自然の断熱構造だ。
地下には複雑な水路網が張り巡らされており、雨水を集めてチステルネ(貯水槽)に蓄える仕組みが発達していた。考古学的調査では、ビザンツ時代(6〜9世紀)の岩窟教会(ルペストレ教会)も発見されており、初期キリスト教の礼拝空間としてフレスコ画が描かれたものも残っている。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 670 |
| 登録年 | 1993年 |
| 居住開始 | 旧石器時代(9,000年以上前) |
| 強制移住 | 1950年代〜1960年代(法律619号) |
| 強制移住人口 | 約15,000人 |
| 欧州文化首都指定 | 2019年 |
| 洞窟住居数 | 約3,000(うち居住可能なものは一部) |