ヴェローナ市街:文学が作った偽りの記憶が本物の場所になる
ヴェネト州のアディジェ川沿いの都市。1世紀建設のアレーナ(円形闘技場・収容3万人)が現在も毎夏オペラの野外会場として使われる。シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の舞台——ただし「ジュリエットの家」と「ジュリエットのバルコニー」は20世紀に観光目的で設置された。「文学が作った偽りの記憶の場所」が本物の観光地になった。
- 大量観光による旧市街の居住機能低下
- アレーナの振動による周辺建築への構造的影響
- 観光商業化による中世・ルネサンス建築の原形変更
遺産の概要
イタリア北部ヴェネト州のアディジェ川沿いに位置するヴェローナは、ローマ時代から現代まで2,000年以上にわたり都市として機能し続けてきた。ユネスコは2000年に「ヴェローナ市街」を世界遺産に登録した——ローマ時代の遺構、中世の城砦と橋、ルネサンス期の宮殿と広場が複数の時代の地層として重なる都市形成の優れた例として。
市の中心にそびえるアレーナ・ディ・ヴェローナは、紀元後1世紀(ヴェスパシアヌス帝またはティトゥス帝の治世)に建設された楕円形の円形闘技場だ。現在も収容人員約22,000人(かつては最大30,000人)を誇り、毎年夏に開催される野外オペラ・フェスティバルの会場として世界的に知られている。
ローマの建築が夏のオペラ会場になるまで
アレーナが2,000年間にわたり実用的な構造物であり続けた理由は、その材料と設計にある。ローマ時代のコンクリート(オプス・インセルトゥム)と石灰岩の組み合わせで建設されたアーチ構造は、中世の地震や人為的な破壊を経ても基本構造を維持した。外壁の大部分は12世紀の地震で崩落したが、内部の観客席(カヴェア)は現在まで使用に耐えている。
オペラ・フェスティバルの起源は1913年で、音楽家ジョヴァンニ・ゼナテッロがアレーナでヴェルディ没後50周年記念公演を企画したことに始まる。以来、毎夏6〜9月に大規模な野外オペラが上演され、『アイーダ』をはじめとするヴェルディ作品が最も頻繁に演じられる。夜の公演では2万本以上のろうそくを観客が手に持つ慣習があり、アレーナが光の海になる場面は現在も続いている。
シェイクスピアとヴェローナ——作られた記憶の地理学
ヴェローナを世界的に有名にしたもう一つの要因は、シェイクスピアの悲劇『ロミオとジュリエット』(1594〜96年頃)だ。シェイクスピアはヴェローナを物語の舞台として選んだが、彼自身はヴェローナを訪問したことがない(イタリアへ渡航した記録がない)。物語の素材はイタリアの先行作品(バンデッロの短編小説、1554年)から取られたものだ。
「ジュリエットの家(カーザ・ディ・ジュリエッタ)」はヴィア・カッペッロ23番地の中世の建物で、もともとは「カッペッリ家(英語でキャプレット)」という姓の一族の所有だったことから観光地として整備された。ただし肝心の「ジュリエットのバルコニー」は20世紀前半に観光目的で後付けされたものだ——シェイクスピアの作品にはバルコニーという記述はあっても、特定の建物の描写はない。
それでも毎年数十万人がこの場所を訪れ、ジュリエット像の右胸には幸運を願う観光客が触り続けて金色に光っている。「存在しない人物の実在しない家のでたらめなバルコニー」は、世界で最も写真に撮られる場所の一つになった。
都市のレイヤー——ローマからルネサンスまで
ヴェローナの世界遺産登録の本質は、「ロミオとジュリエット」ではなく都市形成史の豊かなレイヤーにある。ローマ時代の都市計画(格子状の道路網、フォーロ・ロマーノ、劇場)、中世のスカリジェリ家(ヴィスコンティに対抗したヴェローナの支配者一族)の城郭群(スカリジェロ橋、カステルヴェッキオ)、そしてルネサンス期のエルベ広場を中心とした商業都市の形態が、それぞれの時代の政治・経済の構造を反映しながら現在も重なり合って存在している。
スカリジェリ家の廟(アルケ・スカリジェレ)は14世紀のゴシック様式の墓廟で、騎馬彫刻を頂部に持つ独特のデザインは「死後も支配者であろうとする意志」の建築的表現として美術史的に重要だ。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 797 |
| 登録年 | 2000年 |
| アレーナ建設年 | 1世紀(ローマ帝政期) |
| アレーナ収容人員 | 約22,000人(現在) |
| オペラ・フェスティバル開始 | 1913年 |
| ジュリエットのバルコニー | 20世紀前半に後付け設置 |
| ジュリエットへの年間手紙数 | 数千通 |