シエナ歴史地区:現代まで続く中世の「他国人」意識と世界最古の銀行
トスカーナ州の丘の上の都市。「貝殻形」のカンポ広場を中心とした放射状の中世都市構造。毎年7月・8月の「パリオ」——17の地区(コントラーダ)の馬が広場を走る競馬。コントラーダのアイデンティティは現代も強烈で、隣の地区同士は「他国人」扱いが続く。銀行制度の発祥地(1472年創業のモンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナは現存する世界最古の銀行)。
- 人口減少と若年層の流出による都市の空洞化
- 観光圧力による居住環境の悪化
- 丘陵地盤の侵食と地滑りリスク
遺産の概要
イタリア中部トスカーナ州の丘陵地帯に位置するシエナは、12〜15世紀にフィレンツェと並ぶトスカーナ最大の都市国家として繁栄した。ユネスコは1995年に「シエナ歴史地区」を世界遺産に登録した。登録の根拠は、中世シエナ共和国の都市計画・建築・美術が現代まで完全な形で保存されているという稀有な事実にある。
シエナの都市形態の中核をなすのは「カンポ広場(Piazza del Campo)」だ。扇形または貝殻形のこの広場は9区画の石畳で分割され(かつての9人委員会政府を象徴するとも言われる)、一端に14世紀に完成したプッブリコ宮殿(市庁舎)がそびえる。広場は平坦ではなく中央に向かってわずかに傾斜しており、これは機能的な排水設計であると同時に、広場に集まる人々がどこからでも市庁舎を見上げる視覚的・政治的効果を生む。
パリオという中世の生存競争
シエナの「パリオ(Palio)」は、毎年7月2日と8月16日に開催される競馬レースだ。市内17のコントラーダ(地区)のうち抽選で選ばれた10のコントラーダが、カンポ広場の特設馬場で3周を走り一着を競う。ルールは極めてシンプルで「一番先に馬が広場のゴールに達した地区が勝ち」——騎手が落馬しても、鞍をつけた馬が先着すれば勝利になる。
コントラーダは単なるスポーツチームではない。出生届を出した病院に基づいて所属が決定され(または親のコントラーダを継承し)、生涯変えることができない。17のコントラーダにはそれぞれ固有の紋章・色彩・守護聖人・教会・博物館があり、固有の集団的記憶と感情の共同体を形成している。競合コントラーダとの関係は世代を超えて継続し、「宿命のライバル」関係(ニーチェ的な意味での永遠の競争相手)は現代も生き続けている。
パリオで負けたコントラーダは文字通り「喪に服す」——数ヶ月間はパーティーや宴会を行わず、次の勝利まで悲しみを抱える。勝ったコントラーダは何日も宴会を続ける。「祭り」を超えた実存的な問題として毎年繰り返されるこの儀式は、中世の都市共同体の感情構造が現代に生き延びている最も純粋な例の一つだ。
世界最古の銀行とシエナの経済的遺産
シエナが銀行業の発祥地の一つであることは、現代のシエナに世界最古の現役銀行が存在することで証明される。モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ(Monte dei Paschi di Siena、略称MPS)は1472年に設立された。設立当初の目的は農民や貧困層に低利融資を行う「善良なる抵当金融(Monte Pio)」——高利貸しへの対抗策として教皇に認可された。
この銀行は550年以上を経た現在も(本店をシエナに置いたまま)運営されているが、2010年代に経営危機に陥り、2016〜17年にはEUの国家救済スキームの対象となった。「最古の銀行」が21世紀に救済される——この逆説は、遺産の歴史的価値と経済的現実が全く別の問題であることを示している。
シエナ絵画と西洋美術史
シエナはドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ、シモーネ・マルティーニ、アンブロージョ・ロレンツェッティらを輩出した「シエナ派絵画」の中心地でもある。特にロレンツェッティのプッブリコ宮殿壁画「善政と悪政の寓意」(1338〜39年)は、都市における「良い統治」と「悪い統治」の効果を視覚化した作品として西洋政治哲学の図像史上きわめて重要だ——現代語で言えば「政策の可視化デザイン」の最古の例の一つである。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 717 |
| 登録年 | 1995年 |
| コントラーダ数 | 17(パリオ参加は毎回10) |
| パリオ開催日 | 7月2日・8月16日 |
| モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ設立年 | 1472年 |
| カンポ広場の傾斜 | 約2.6% |
| 主要絵師 | ドゥッチョ、マルティーニ、ロレンツェッティ |