グアナフアト歴史地区と鉱山地帯:地下を走る都市とミイラの街
植民地期に世界の銀の40%を産出した山岳都市。渓谷の急斜面に張り付く街の地下には、旧洪水防止用の排水トンネルが走り、現在は車道として機能する「地下都市」を形成する。19世紀に偶然発見された自然乾燥ミイラを展示するミイラ博物館はメキシコ最大の観光スポットのひとつ。
- 観光客の過密化
- 鉱山跡地の土壌汚染
- 急峻な地形による土砂崩れリスク
遺産の概要
グアナフアトはメキシコ中部高原の渓谷に発展した鉱山都市。1548年にスペイン人によって銀鉱山が発見され、18世紀には世界の銀産出量の約40%を占める最重要産地となった。急峻な渓谷の斜面に色彩豊かな建物が張り付く独特の景観と、地下に張り巡らされたトンネル網が都市の個性を形成している。
バロック様式のラ・バレンシアナ教会、メキシコ独立運動の舞台となったアルホンディガ・デ・グラナディタス(穀物倉庫)、セルバンテス国際フェスティバルの会場となるフアレス劇場など、多様な歴史的建造物が密集している。1988年のUNESCO登録は、都市景観の完全性と歴史的価値が評価されたものだ。
地下の都市
グアナフアトの最も奇妙な特徴のひとつが、地下を走る車道だ。市内には現在、複数の地下トンネルが網目状に走っており、主要幹線道路として機能している。
このトンネルは元々1905年に建設された洪水防止用の排水路だった。グアナフアトは渓谷底に位置するため、雨季には上流から大量の水が流れ込む洪水被害が深刻だった。幅4〜5m、長さ数kmに及ぶトンネルが掘られ、洪水を迂回させる構造が作られた。
1960年代に上流にダムが建設されて洪水リスクが低減すると、地下排水路は車道に転用された。現在のグアナフアトでは、地上の迷路のような狭い路地と地下の車道が組み合わさった、世界でも珍しい三次元都市構造が機能している。
ミイラ博物館の成り立ち
グアナフアトのミイラ博物館(Museo de las Momias)は、メキシコ国内でも特に異色の観光地だ。展示されているミイラは考古学的発掘品ではなく、19〜20世紀の一般市民の遺体だ。
19世紀のグアナフアト市は財政難のため、墓地の永続使用料の未払いを理由に遺体の掘り起こしを行い始めた。作業の過程で、高地の乾燥した気候と土壌に含まれるミネラル分(主に硫黄、亜鉛)が遺体を自然乾燥・ミイラ化させていたことが判明した。
作業員が倉庫に保管し始めたミイラは、評判が広まるにつれて見物人を集めるようになり、やがて有料展示が始まった。現在の博物館には100体以上のミイラが展示されており、遺体の表情・服装・年齢が生々しく保存されている。倫理的な問題提起も続いているが、博物館はメキシコを代表する観光地のひとつとして機能している。
独立運動の震源地
グアナフアトはメキシコ独立運動(1810年)の最初の激戦地でもある。1810年9月28日、イダルゴ神父率いる独立軍がグアナフアトのアルホンディガ・デ・グラナディタス(穀物倉庫)を攻撃し、立てこもるスペイン人と支持者を殲滅した。
この戦闘で数百人が死亡し、独立戦争は激化した。翌年、スペイン側の反撃でイダルゴ神父らは処刑され、その首は見せしめとしてアルホンディガの四隅に10年間吊るされた。現在、建物はミュージアムとして公開されており、独立運動の記念碑として機能している。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 482 |
| 登録年 | 1988年 |
| 銀鉱山発見 | 1548年 |
| 最盛期の銀産出量 | 世界の約40%(18世紀) |
| 地下トンネル建設 | 1905年(排水路として) |
| 車道への転用 | 1960年代 |
| ミイラ博物館の展示数 | 100体以上 |
| 独立戦争の最初の激戦 | 1810年9月28日 |