リガ歴史地区:アール・ヌーヴォーの首都とソ連の傷跡
1201年に設立されたハンザ同盟の主要都市。「ユーゲントシュティール(アール・ヌーヴォー)の首都」として知られ、1905〜1910年に集中建設された装飾的ファサードのアパート群は世界最大の密度を誇る。「バルト海の花嫁」と呼ばれる一方、ソ連時代(1940〜1991年)の工場・集合住宅が中世・アール・ヌーヴォーの都市景観と混在する。
- ソ連時代の建築との景観不整合
- 歴史的建造物の維持管理不足
- 大規模現代建設計画との衝突
- 人口減少による建物の空洞化
遺産の概要
リガはラトビアの首都で、ダウガヴァ川の河口からほど近いバルト海沿岸に位置する。1201年にブレーメンの司教アルベルトによって設立され、中世ハンザ同盟の主要貿易拠点として発展した。現在の歴史地区(リガ旧市街)には、中世の都市構造、17〜18世紀の商人建築、そして1905〜1914年に集中建設されたアール・ヌーヴォー(ユーゲントシュティール)の建物群が層を成している。
世界遺産登録区域は旧市街(メーダラシュ)と、ダウガヴァ川北岸に広がるユーゲントシュティール地区の二つのエリアで構成される。
ユーゲントシュティールの首都
20世紀初頭、リガはロシア帝国の主要港湾都市として急速に経済成長を遂げた。1897〜1913年の間に人口は25万から50万へと倍増。富裕な商人・工業資本家層が競って建設したアパートや商業建築に、当時ヨーロッパを席巻していたアール・ヌーヴォー(ドイツ語圏ではユーゲントシュティール)の様式が採用された。
リガのユーゲントシュティール建築の特徴は、植物・動物・人面などのモティーフを組み合わせた過剰なほど装飾的なファサードにある。建築家ミハイル・アイゼンシュタイン(映画監督セルゲイ・アイゼンシュタインの父)が設計した一連の建物が最も有名で、アルベルタ通りとエリザベテス通りに集中している。
現在もリガ旧市街・中心部には800棟以上のユーゲントシュティール建築が残り、その密度はウィーン、ブリュッセル、バルセロナを上回るとされる。
「バルト海の花嫁」とソ連の傷
リガは19世紀末から「バルト海の花嫁(Baltijas jaunava)」と称された——豊かな装飾、活気ある文化、多民族共存の都市という評価を込めた呼び名だ。ドイツ系・ラトビア系・ロシア系・ユダヤ系が商業・文化で競合しながらも共存した都市の特質を指していた。
1940年のソ連占領は、この都市に別の層を刻み込んだ。スターリン様式の官庁建築、プレハブ工法の集合住宅団地(フルシチョフカ)、工場群が、中世・ユーゲントシュティールの街並みに混入した。都市の西側と東側で、全く異なる時代の建築が隣接する現在のリガの景観は、その政治史そのものを体現している。
UNESCO危機遺産との境界
リガはユネスコ世界遺産委員会から繰り返し景観保護の改善要求を受けてきた。2003年以降、ダウガヴァ川沿いの高層建設計画(14階建てのホテル・商業施設)が旧市街の眺望を損なうとして問題視され、2015年には「危機遺産予備リスト」入りが示唆された。ラトビア政府は規制強化で対応し、正式な危機遺産指定は回避したが、遺産境界周辺の開発圧力は現在も続いている。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 852 |
| 登録年 | 1997年 |
| ユーゲントシュティール建築数 | 800棟以上 |
| 主要建築家 | ミハイル・アイゼンシュタイン(1867〜1921年) |
| ソ連占領期間 | 1940〜1941年、1944〜1991年 |
| ラトビア系人口比率変化 | 73%(1935年)→ 36%(1989年) |
| 設立年 | 1201年 |