パエストゥムとヴェリア:草原に立つ、ギリシャよりギリシャ的な神殿
- 南イタリアの草原に、ギリシャ本土より保存状態のよいドーリア式神殿が3基立つ。マグナ・グラエキア(大ギリシャ)植民都市として紀元前7世紀に建設され、2,500年後も誰も壊せなかった。唯一ほぼ完全な状態で現存するギリシャ絵画「潜水夫の墓」も、この地に眠る。
- 所在地・時代: イタリア・カンパニア州チレント海岸(紀元前7〜6世紀〜(マグナ・グラエキア植民都市))
- 分類・保全状況: 文化遺産 / 保全状態:良好
- 所在地:
- イタリア・カンパニア州チレント海岸
- 遺産分類:
- 文化遺産
- 登録年:
- 1998年
- 保全ステータス:
- 保全状態:良好
南イタリアの草原に、ギリシャ本土より保存状態のよいドーリア式神殿が3基立つ。マグナ・グラエキア(大ギリシャ)植民都市として紀元前7世紀に建設され、2,500年後も誰も壊せなかった。唯一ほぼ完全な状態で現存するギリシャ絵画「潜水夫の墓」も、この地に眠る。
- 塩害・海風による石材劣化
- 観光インフラの未整備
- 周辺農地開発による景観圧迫
遺産の概要
パエストゥムは、イタリア南部カンパニア州チレント海岸に位置する古代ギリシャの植民都市遺跡。紀元前7世紀末頃、ギリシャ本土のシュバリスからの入植者によって「ポセイドニア」の名で建設された。最盛期には商業・農業で栄えたが、紀元前273年にローマに征服されてパエストゥムと改名。中世以降は疫病と湿地化で放棄され、17世紀以降に「再発見」された。
現存する3基の神殿——ヘラ神殿Ⅰ(別名:バシリカ)、ヘラ神殿Ⅱ(別名:ネプチューン神殿)、アテナ神殿——は、ドーリア式建築の傑作として建築史に位置づけられる。特筆すべきは、ギリシャ本土の神殿の多くが後世に石材を転用されて骨格だけ残るのに対し、ここでは内部構造まで含めた完全体に近い状態が維持されていることだ。
ギリシャ本土よりギリシャ的な理由
なぜ南イタリアの遺跡がギリシャ本土より保存状態がよいのか。理由はいくつかの偶然の重なりにある。
ビザンツ帝国・ランゴバルド族・サラセン人の侵攻が続いた中世期、チレント海岸は戦略的重要性が低く、大規模な石材転用が行われなかった。また、マラリアの蔓延により中世後期には完全に無人地帯となったことが、逆に遺跡を守る結果になった。人が来なければ破壊もされない——皮肉な保存機構だ。
建築様式の点でも、パエストゥムの神殿は「原型のドーリア式」を示す。後のアテネのパルテノン(紀元前5世紀)は洗練されているが、パエストゥムの神殿群(紀元前6世紀)はより太く荒々しい柱を持ち、「初期ドーリア式」の特徴を完全な形で伝えている。建築史家にとっては比較対象として不可欠な存在だ。
潜水夫の墓——唯一残ったギリシャ絵画
1968年、パエストゥム近郊の墓地から一基の石棺が発見された。石灰岩の板5枚で作られた棺——床・壁4面・蓋——の内側すべてに彩色壁画が描かれていた。これが「潜水夫の墓(Tomba del Tuffatore)」だ。
蓋の裏に描かれた「水に飛び込む若者」の図は、ギリシャ絵画で唯一ほぼ完全な状態で現存する具象画とされている。ギリシャ本土やエーゲ海の壁画はほぼ消滅しており、陶器の絵付けや文献からしか様式を知ることができない。この一枚が、紀元前5世紀のギリシャ絵画の実態を直接示す唯一の証拠となっている。
「水に飛び込む」という表現が象徴するもの——「生から死への移行」「あの世への旅立ち」——については諸説あるが、その解釈の曖昧さがこの壁画の神秘性をさらに高めている。現在はパエストゥム考古学博物館に展示されているが、国際的知名度は著しく低い。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 842 |
| 登録年 | 1998年 |
| 登録基準 | (i)(ii)(iii)(iv) |
| 主要遺構 | ヘラ神殿Ⅰ・Ⅱ、アテナ神殿、城壁、フォルム |
| 潜水夫の墓 | 紀元前480年頃、パエストゥム考古学博物館収蔵 |
| 関連遺跡 | ヴェリア(同登録)——哲学者パルメニデスの出身地 |
| アクセス | ナポリから特急で約1.5時間、パエストゥム駅下車 |
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