ヘグラ(マダーイン・サーレハ):「不吉な場所」と呼ばれ続けた、ペトラより美しい岩窟都市
ペトラ(ヨルダン)と同じナバテア人が建設した岩窟墓地群。111基以上の精緻な切り石墓が砂岩の断崖に彫られ、保存状態はペトラを凌ぐとも言われる。しかしイスラム教の伝承で「預言者ムハンマドが通過を禁じた呪われた地」とされたため、近代まで外部者を徹底的に締め出してきた——サウジアラビア初の世界遺産。
- 急速な観光開発(ネオム計画周辺インフラ整備)による景観変容
- 強風・砂嵐による砂岩表面の侵食
- 観光客増加に対応した遺産管理体制の未成熟
遺産の概要
ヘグラ(アラビア語:الحِجْر、ローマ字化:Al-Hijr)は、サウジアラビア北西部アル・ウラー県に位置する。ヒジャーズ地方の内陸砂漠に広がるこの遺跡は、2,000年以上前にアラビア半島を支配した謎めいた商業国家・ナバテア王国の南方拠点として建設された。
ナバテア人はヨルダンのペトラを首都に、香料・乳香・絹の交易路を掌握した民族だ。ヘグラはその南方の主要中継地であり、紀元前1世紀頃から紀元後1世紀にかけて最盛期を迎えた。ローマ帝国によるナバテア王国の併合(紀元後106年)後、交易路が再編されたことでヘグラは徐々に衰退した。
現存する最大の遺構は111基以上の岩窟墓だ。砂岩の断崖を正面から彫り込み、柱頭・破風・碑文・装飾浮彫りが切り出された墓正面(ファサード)は、ナバテア建築の集大成として建築史に記録されている。
ペトラとの比較——「より美しい」の根拠
ペトラとヘグラはほぼ同じ民族・同じ時代・同じ建築技術の産物だ。しかしその保存状態は大きく異なる。
ペトラは2,000年近く人が居住し続け、後世の建築物が古代遺跡に重なった。19世紀の「再発見」後は観光化が急速に進み、岩窟ファサードの一部は観光客の接触や大気汚染で損傷した。
ヘグラはこれと対照的だ。イスラムの伝承による「立ち入り禁止」状態が、結果として遺跡を1,400年にわたって保護した。訪問者が来なければ、意図的破壊も偶発的損傷も起きない。現代のヘグラでは碑文の刻みが明瞭に読め、装飾の細部が鮮明に残り、墓ファサードの色彩(砂岩の層が異なる色を示す)が保存されている。
「第二のペトラ」という呼び方より「ペトラより保存状態が良い」という表現の方が正確かもしれない。
呪われた場所の政治学
なぜサウジアラビアに世界遺産が2008年まで一件もなかったのか——ヘグラの歴史的経緯はその問いの答えのひとつだ。
イスラム神学の厳格な解釈では、偶像崇拝の痕跡を持つ場所への礼賛や巡礼は禁忌に近い。ナバテア人が彫った神々の像と碑文を持つヘグラは、「サムードの民の呪い」という伝承と合わさって「不吉な場所」として扱われ続けた。20世紀初頭のヒジャーズ鉄道(1908年開通、メジナ〜ダマスカスを結ぶ)がヘグラ(マダーイン・サーレハ駅)を通過したことで外部からの接近が可能になったが、それでも外国研究者の発掘調査が許可されたのは1970年代以降のことだ。
2008年のUNESCO登録はサウジアラビア初の世界遺産という歴史的意味を持ち、それはビジョン2030観光戦略の布石でもあった。「禁忌」と「世界遺産」の間で、この遺跡の解釈は今も揺れている。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 1565 |
| 登録年 | 2008年(サウジアラビア初) |
| 登録基準 | (ii)(iii) |
| 主要遺構 | 111基以上の岩窟墓 |
| 最大墓 | カスル・アル・ファリード(「孤独の城」)——高さ約22m |
| ナバテア王国最盛期 | 紀元前1世紀〜紀元後1世紀 |
| 一般開放 | 2020年より観光ツアー開始 |
| アクセス | アル・ウラー国際空港より車で約30分 |