トロイア:神話の都市を信じて掘った男と、9層に重なる歴史
ホメロスの叙事詩「イリアス」の舞台とされる伝説の都市トロイアは、1870年にハインリヒ・シュリーマンが「神話が実在する」と信じて発掘し、9層の都市遺跡として実際に存在することが確認された。しかしシュリーマンが「プリアモスの黄金」として持ち去った遺物は実際には違う時代のものであり、発掘の功績と略奪の汚点が同居する考古学史上最も複雑な事例のひとつだ。
- シュリーマンによる初期発掘の破壊的影響(下層の損傷)
- 観光客増加による遺構の損耗
- 周辺農地開発と道路建設
遺産の概要
トロイア(英語: Troy、ギリシャ語: Τροία、現地語: Troya)は、現在のトルコ北西部・チャナッカレ県のヒサルルック丘陵に位置する複合遺跡。エーゲ海とマルマラ海(ダルダネルス海峡)を見下ろす戦略的な位置に立地し、紀元前3000年頃から連続的に人が居住した。
現在確認されている「層(レイヤー)」は9つあり、それぞれが異なる時代の都市に対応する(トロイアI〜IX)。最も古いトロイアIは初期青銅器時代(紀元前3000〜2550年)、最も新しいトロイアIXはローマ時代(イリオン)にあたる。
ホメロスの叙事詩「イリアス」に描かれたトロイア戦争(ギリシャ連合軍vs.トロイア王国)の舞台と同定される可能性があるのは、後期青銅器時代のトロイアVI(紀元前1750〜1300年)またはトロイアVIIa(紀元前1300〜1190年頃)とされている。
シュリーマンの確信と破壊
ハインリヒ・シュリーマン(1822〜1890年)はドイツ生まれのビジネスマンで、幼少期からホメロスを愛読し「トロイアは実在する」という確信を持ち続けた。商業で巨万の富を築いた後、40代で考古学の世界に入り、1870年代にヒサルルックでの発掘を開始した。
1873年、シュリーマンは第2層で金の装飾品・容器・武器類の大型コレクションを発見し、「プリアモスの宝(Priam’s Treasure)」と命名してトルコ当局に無断で持ち出した。しかし現代の放射性炭素年代測定では、このコレクションはトロイアII層のもの(紀元前2400〜2200年頃)と推定される。ホメロスが描いた「トロイア戦争の時代」(紀元前1200年頃)より約1000年以上古い。
さらに問題なのは、シュリーマンが目的の層に到達しようと焦って上位の層を大量に掘り壊したことだ。彼の最初の発掘は、後の時代の貴重な遺跡を破壊しながら進められた。「遺産の発見者にして最大の破壊者」という皮肉な評価が今もシュリーマンにつきまとう。
9層の都市が語る3000年の歴史
トロイアの9層はそれぞれが独立した都市文明の記録だ:
| 層 | 時代 | 特徴 |
|---|---|---|
| トロイアI | 紀元前3000〜2550年 | 初期集落、円形住居 |
| トロイアII | 紀元前2550〜2300年 | シュリーマンが「黄金」を発見した層 |
| トロイアVI | 紀元前1750〜1300年 | 大規模城壁、最も繁栄した時代 |
| トロイアVIIa | 紀元前1300〜1190年 | 焼かれた痕跡あり、戦争の候補 |
| トロイアIX | 紀元前85年〜500年 | ローマ時代のイリオン |
現在も発掘が継続されており、特にトロイアVI〜VIIaの研究が活発に行われている。2000年代以降の発掘では、トロイアVIの城壁外側に広大な下町(city lower town)が存在し、城内だけの都市ではなく人口数千人〜数万人規模の大都市だった可能性が示されている。
プリアモスの黄金:現在進行形の外交問題
シュリーマンが持ち出した「プリアモスの黄金」はその後、アテネ→ベルリン(カイザー・フリードリヒ博物館)と移り、第二次世界大戦末期の1945年にソ連軍がベルリンから持ち去ってモスクワに運んだ。1993年にロシア政府がその存在を正式に認め、以降はプーシキン美術館に所蔵・展示されている。
現在、ドイツ・ギリシャ・トルコの3か国が返還を要求しており、誰に返すべきかすら決まっていない。「発掘地」「起源国」「合法的購入国」「戦争で持ち去った国」という4者が絡む問題は、文化財の国際法的所有権の難しさを象徴している。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 849 |
| 登録年 | 1998年 |
| 居住継続期間 | 紀元前3000〜500年頃(約2500年) |
| 確認された地層数 | 9層 |
| 発掘開始者 | ハインリヒ・シュリーマン(1870年) |
| 「プリアモスの黄金」現在地 | プーシキン美術館(モスクワ) |
| 戦争候補層 | トロイアVIhまたはVIIa |