ミケーネとティリンスの考古学遺跡
ホメロスの叙事詩「イリアス」に登場する「黄金のミケーネ」——アガメムノン王の伝説の都市。1876年にシュリーマンが発掘した「アガメムノンの黄金マスク」は実際にはアガメムノンより300年古いと後に判明。紀元前1250年頃建設の「獅子門」は3.5トンの楣石を持つヨーロッパ最古の記念的建築のひとつ。
- 観光客の増加による遺構の摩耗
- 地震リスク(アルゴリス地方は地震帯)
- 雨水浸透による石積み構造の劣化
- 周辺地域の農業・開発による考古学層の破壊
遺産の概要
ミケーネはペロポネソス半島北東部アルゴリス地方、アルゴス平野を見下ろす標高278メートルの丘の上に位置する。紀元前1600〜1100年のミケーネ文明の中心都市として、エーゲ海全域の交易ネットワークを支配した。ホメロスの叙事詩「イリアス」・「オデュッセイア」ではトロイア戦争を率いるアガメムノン王の居城として描かれ、「黄金のミケーネ(πολύχρυσοι Μυκήναι)」と讃えられた。
ティリンスはミケーネから約20km南、アルゴス湾に近い低地に位置する同時代の城塞都市だ。厚さ最大17メートルに達する「キュクロプス式石積み」の城壁が特徴で、ホメロスは「堅城のティリンス」と表現した。ミケーネ・ティリンス・近傍のナウプリアを含む地域全体が1999年に一括してUNESCO世界遺産に登録された。
シュリーマンの「発見」とその誤認
1876年、ドイツ人実業家ハインリヒ・シュリーマンがギリシャ政府の許可を得てミケーネの発掘を開始した。シュリーマンは既にトロイア(現在のヒサルルク遺丘)を発掘してその実在を実証した人物だ。ミケーネのアクロポリスの「竪穴墓地A」を発掘した彼のチームは、黄金のマスク・黄金の杯・黄金の剣の装飾品など大量の副葬品を発見した。
シュリーマンは最も精緻な黄金マスクを指さし、ベルリンにこう打電した——「アガメムノンの顔を見た」。しかし20世紀後半の炭素年代測定と形式分析により、このマスクの制作年代は紀元前1550〜1500年頃と推定された。アガメムノンに関連するとされるトロイア戦争の推定時期(紀元前1250年頃)より約300年古い。「アガメムノンの黄金マスク」という名称は世界中に広まったが、実際にはアガメムノンとは無関係の人物のものだった。
獅子門——ヨーロッパ最古の記念的建築
紀元前1250年頃に建設された「獅子門(ライオンゲート)」は、2頭のライオン(またはグリフィンの可能性もある)の浮き彫りを持つ巨大な城門だ。開口部の上に架け渡された三角形の楣石(まぐさ石)は高さ3メートル・重量3.5トン。ヨーロッパに現存する最古の記念的彫刻建築のひとつとされる。
ライオン(またはグリフィン)の頭部は現存しない——金属か別の素材で作られた頭部が差し込まれていた可能性がある。なぜ2頭の動物が門を守護しているのか(王権の象徴か、神の使者か)については諸説あり、決定的な解釈は出ていない。
ミケーネ文明の謎の崩壊
紀元前1200〜1150年頃、ミケーネ文明は突然崩壊した。宮殿が焼かれ、人々が去り、線文字B(ミケーネ文明の行政記録に用いられた文字)の使用が停止した。この崩壊はヒッタイト帝国・ウガリット・エジプト新王国の衰退と同時期に起きた「青銅器時代崩壊」と呼ばれる広域的な文明危機の一部だ。
原因については長年の議論が続いている。「海の民」と呼ばれる謎の集団の侵攻説・大規模な地震説・気候変動(乾燥化)による農業崩壊説・内乱・交易ネットワークの断絶——どれも単独では説明が不十分で、現在の主流は複数要因が連鎖した「複合崩壊説」だ。
ミケーネ崩壊後の約400年(紀元前1100〜700年頃)はギリシャの「暗黒時代」と呼ばれる文字記録のない時代で、この空白期を経てホメロスの叙事詩が成立した。「アガメムノンの黄金のミケーネ」という記憶は、崩壊した文明の遠い記憶として叙事詩の中に保存されたのだ。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 941 |
| 登録年 | 1999年 |
| 文明期 | 紀元前1600〜1100年 |
| シュリーマン発掘 | 1876年 |
| 「アガメムノンマスク」実年代 | 紀元前1550〜1500年頃 |
| 獅子門建設 | 紀元前1250年頃 |
| 楣石重量 | 約3.5トン |
| 文明崩壊 | 紀元前1200〜1150年頃(青銅器時代崩壊) |