ペルガモン:ゼウスの大祭壇がベルリンに運ばれ、羊皮紙を発明した都市
アレクサンドロス大王の後継者が建設した王国の首都。急傾斜の山頂に建てられた劇場(傾斜80度・収容1万人)と「ゼウスの大祭壇」で有名。大祭壇は19世紀にドイツが解体して移送し、現在はベルリンのペルガモン博物館に展示されている。またエジプトがパピルスの輸出を禁じたため羊皮紙(パーチメント)を発明したとされる——「ペルガモン(パーチメント)」の語源の地。
- 観光開発による景観への影響
- 遺跡周辺の都市開発
- ゼウスの大祭壇の不在(ベルリン移設)
遺産の概要
ペルガモン(現トルコ名:ベルガマ)はトルコ西部のエーゲ海沿岸近くに位置し、紀元前3世紀から1世紀にかけてアッタロス朝の首都として栄えた都市遺跡である。アレクサンドロス大王の死後(紀元前323年)、後継者戦争を経てこの地域を支配したリュシマコスの武将フィレタイロスが建設した王国の都だ。
アクロポリス(山頂城塞)を中心とする都市計画は、急峻な丘の地形を最大限に活用しており、神殿・図書館・劇場・宮殿・体育施設が山頂から斜面にかけて段状に配置されている。
傾斜80度の劇場と古代の眺望
ペルガモン劇場の特徴は、山の急斜面を直接削って客席を設けたその傾斜角だ。約80度という急傾斜に1万人の観客が着席できる構造は、ギリシャ・ローマ世界の劇場の中でも最も急なものに分類される。
舞台部分は劇上演のたびに仮設の木製舞台を組んで使用され、公演終了後は撤去した。固定舞台を持たないこの設計は、舞台後方に雄大な平原と山並みが広がる風景を「常設の背景」として機能させるためだったと考えられている。
ゼウスの大祭壇:持ち去られた遺産の象徴
ゼウスの大祭壇(紀元前170年頃建立)はペルガモン最大の宗教建築で、ギガンテス(巨人族)とオリンポスの神々の戦いを描いた全長120mの浮き彫りフリーズで有名だ。19世紀後半、ドイツの工学者カール・フマンが発掘を開始し、オスマン帝国との取引で祭壇を解体・搬出した。現在、再組み立てされた祭壇はベルリンのペルガモン博物館(博物館の名称はこの祭壇に由来)に展示されている。
トルコ政府は現在もドイツに返還を求めているが、ドイツ側は当時の条約に基づく合法的取得を主張しており、解決の見通しは立っていない。
羊皮紙の発明:知識の封鎖が生んだ革新
古代の記録媒体パピルスはエジプトが独占的に生産していた。伝承によれば、プトレマイオス朝エジプトはペルガモン王国の図書館(アレクサンドリア図書館に匹敵するとされた)への対抗意識から、パピルスの輸出を禁止した。これに対してペルガモンが代替材料として開発したのが羊や山羊の皮を薄く加工した「パーチメント」だ。ラテン語で「ペルガミナ」、フランス語で「パルシュマン」、英語で「パーチメント」——これらはすべて「ペルガモンの材料」を意味する語を語源に持つ。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 1457 |
| 登録年 | 2014年 |
| 劇場傾斜 | 約80度(収容1万人) |
| ゼウスの大祭壇 | ベルリン・ペルガモン博物館に展示(1880年代搬出) |
| 羊皮紙 | 「パーチメント」の語源(ペルガモン発祥) |
| 図書館蔵書数 | 最盛期推定20万巻 |