慶州歴史地区:「東洋のローマ」1,000年の首都が地上に残した金と石の記憶
- 朝鮮半島南東部の慶州は、新羅王国(紀元前57年〜935年)の首都として約1,000年にわたって栄えた。「東洋のローマ」と呼ばれた7〜8世紀の最盛期には人口100万人に達したとされる。市内各所に点在する古墳(王陵)、石窟庵、仏国寺、雁鴨池などが残る。出土した純金製王冠をはじめとする金工品の精緻さは、当時の技術水準の高さを示す。
- 所在地・時代: 韓国・慶尚北道慶州市(57年〜935年(新羅王国))
- 分類・保全状況: 文化遺産 / 保全状態:良好
- 所在地:
- 韓国・慶尚北道慶州市
- 遺産分類:
- 文化遺産
- 登録年:
- 2000年
- 保全ステータス:
- 保全状態:良好
朝鮮半島南東部の慶州は、新羅王国(紀元前57年〜935年)の首都として約1,000年にわたって栄えた。「東洋のローマ」と呼ばれた7〜8世紀の最盛期には人口100万人に達したとされる。市内各所に点在する古墳(王陵)、石窟庵、仏国寺、雁鴨池などが残る。出土した純金製王冠をはじめとする金工品の精緻さは、当時の技術水準の高さを示す。
- 急速な都市化による遺跡周辺の開発
- 観光による石窟庵内部環境の変化
- 地下遺構の把握が不完全
遺産の概要
朝鮮半島南東部、太白山脈と南海に挟まれた盆地に位置する慶州は、紀元前57年(伝承)から935年まで約1,000年にわたって新羅王国の首都だった。朝鮮半島を統一した668年以降の統一新羅時代(668〜935年)が最盛期で、唐(中国)・日本・シルクロードを経たペルシャなどとの国際交流によって文化・技術・芸術が花開いた。
「東洋のローマ」という呼称は、城壁を持たず都市全体が遺跡化した点と、最盛期に「17万8,936棟の家屋」が立ち並んでいたという古記録(三国遺事)に由来する。現代の研究者はこの数字を額面通りには取らないが、人口100万人近くを擁する大都市だったことは確かとされる。
地上に溢れる古墳と黄金
慶州市内には数多くの古墳(王陵・王族墓)が点在しており、特に市中心部の「大陵苑」には23基の巨大古墳が密集している。最大の皇南大塚(5世紀)は直径80m以上、高さ23mに達する双墳だ。
1973〜1975年の発掘調査では、天馬塚(155号墳)から純金製王冠・金製腰帯・金製耳飾り・金碗など約1万1,500点の遺物が出土した。特に金製王冠の製作技術——厚さ0.3mm以下まで打ち延ばした金板と、精緻な金粒細工——は5〜6世紀の工芸技術として世界的に高い評価を受けている。
石窟庵と仏国寺
8世紀の統一新羅期に建設された石窟庵は、人工の花崗岩製窟寺院だ。直径約7.2mの丸天井を持つ主室の中央に、高さ3.26mの釈迦如来坐像が鎮座する。天井を構成する石材の配置は、外側からの土圧を計算した精緻な構造設計によっており、当時の数学・土木技術の水準を示す。
同じく8世紀建設の仏国寺は、統一新羅期の仏教建築の代表作だ。多宝塔(高さ10.4m)と釈迦塔(高さ8.2m)が並立する境内は、新羅建築の最高峰として評価される。釈迦塔の解体修復時(1966年)に発見された「無垢浄光大陀羅尼経」は現存する世界最古の木版印刷物(704〜751年頃)とされる。
「野外博物館」としての課題
慶州は現在も人口約25万人の現役の都市だ。古墳・遺跡が住宅地・農地と混在するこの状況は「野外博物館都市」の魅力でもあるが、都市開発との軋轢も生む。地下の遺構調査は建設のたびに実施されるが、全体的な地下遺産マップはいまだ不完全だ。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 976 |
| 登録年 | 2000年 |
| 新羅王国存続 | 紀元前57年〜935年(約1,000年) |
| 首都機能期間 | 最盛期は7〜8世紀(統一新羅) |
| 天馬塚出土遺物 | 約11,500点(純金製王冠含む) |
| 無垢浄光大陀羅尼経 | 現存最古の木版印刷物(704〜751年頃) |
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