パサルガダエ:キュロス大王が建てた最初の帝都と「世界最初の人権宣言」
イラン南部ファールス州。アケメネス朝ペルシャを建国したキュロス2世(大王)が建設した最初の首都。高さ11mの石造墓廟「キュロスの墓」と宮殿跡が残る。バビロンで発見された「キュロスの円筒」には征服した民の信仰と慣習を尊重する旨が記されており、『世界最初の人権宣言』と呼ばれることがある——古代の寛容な支配の記録と、その政治的利用の両方が現代まで続く。
- 塩害による石造遺構の風化
- 農業用水開発による地下水位変動
- 観光インフラ不足と遺跡管理体制の課題
遺産の概要
パサルガダエは、イラン南部ファールス州のマルヴダシュト平原に位置するアケメネス朝ペルシャ帝国の最初の首都遺跡だ。標高約1,900メートルの高原に、紀元前559〜530年頃にキュロス2世(大王)によって建設された。
現存する主要な遺構:
- キュロスの墓:高さ11メートルの石造墓廟。6段の踏み台状基壇の上に切妻屋根の墓室が載る単純かつ堅固な構造。花崗岩の大きな石材をほぼ無加工で積み上げた工法は後のアケメネス朝建築とは異なる素朴さを持つ
- タフテ・ソレイマン(王座の丘):礼拝堂と思われる遺構
- 宮殿群の柱礎:柱廊を持つ宮殿の基礎部分が複数残存
- モス(ゲート):「ソロモンの母の牢獄」とも呼ばれる石造物
ユネスコは2004年、「アケメネス朝ペルシャ建築の黎明を示す遺跡」として登録した。
キュロス2世とは誰か
キュロス2世は紀元前559年頃にペルシャ(現ファールス州)の王として即位し、以後30年間でアンシャン・メディア・リディア・バビロニアを征服し、「東はインド川から西はエーゲ海まで」を支配するアケメネス朝ペルシャ帝国を建国した。
キュロスの歴史的な特異性は征服の規模だけでなく、征服後の政策にある。バビロン占領後(前539年)、彼はバビロニアの神マルドゥクへの信仰を尊重し、ネブカドネザルによってバビロンに連行されていたユダヤ人を解放してエルサレムへの帰還を許可した。この「バビロン捕囚からの解放」は旧約聖書イザヤ書にも記録されており、キュロスは旧約聖書でメシア(救済者)に相当する語で言及されている非ユダヤ人として唯一の存在だ。
キュロスの円筒と人権宣言論争
1879年、バビロン(現イラク南部)の発掘調査で小型の粘土円筒が発見された。バビロニア語楔形文字で書かれたこの「キュロスの円筒」には、キュロスがバビロンを占領した経緯と、そこで定めた政策の一部が記されている。
内容の要点:
- バビロニアの神殿と宗教儀式を回復した
- 捕虜にされていた民族を解放し、故郷への帰還を認めた
- 強制労働を廃止した
1971年、当時のイラン国王モハンマド・レザー・パフラヴィーはこれを「世界最初の人権宣言」と命名し、UNの場で国際的に宣伝した。この定義はその後広まり、レプリカがニューヨークの国連本部に展示されている。
ただし、学術的な評価は慎重だ。この円筒は政治的宣伝として書かれたもので、当時の類似文書(ほかの征服者の即位宣言)と形式的に大きく異ならない。「人権」という普遍的概念は近代ヨーロッパで発展したものであり、古代の政治文書にそれを投影することへの異論は強い。
「最初の人権宣言」というラベルは、20世紀のイランの政治的必要性が作り出した解釈である可能性が高い——だからといってキュロスの寛容な政策の事実が消えるわけではないが。
塩害という静かな脅威
パサルガダエの主要な保存上の脅威は、観光よりも地質的なものだ。
マルヴァダシュト平原の地下には塩分濃度の高い地下水が存在し、毛細管現象で石材内部に浸透した塩が結晶化・膨張して石材を内部から崩す「塩害」(salt weathering)が進行している。
農業用水の大量使用による地下水位の変動が、この塩分浸透を加速させているという調査結果がある。観光客の踏み荒らしより、灌漑農業が遺跡にとっての主要な脅威という逆説的な状況だ。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 1106 |
| 登録年 | 2004年 |
| 建設期 | 紀元前559〜530年頃 |
| キュロスの墓の高さ | 約11m |
| キュロスの円筒の現所在 | 大英博物館(ロンドン) |
| 遺跡の標高 | 約1,900m |