バリの文化的景観:9世紀の灌漑組合が農薬に勝った理由
バリ島の棚田(テラス)水田・ヒンドゥー寺院・灌漑組合「スバック」が一体で登録された複合的文化景観。スバックは9世紀から続く農業・宗教・社会の統合システムで、「水の寺院」を核に複数の村が協力して水資源を管理する。1970年代に導入された「緑の革命」農法は害虫の爆発的増加を招き、スバックの伝統農法に回帰した村の方が安定した収量を記録した。
- 観光開発による水田の宅地・リゾート化
- 農業従事者の高齢化と若年層の観光業流出
- 化学肥料・農薬使用によるスバック水質の変化
- 気候変動による降水量変動と水資源の不安定化
遺産の概要
「バリ州の文化的景観:トリ・ヒタ・カラナの哲学を反映するスバック・システム」として登録されたこの世界遺産は、インドネシア・バリ島に現存する棚田(テラス)水田・灌漑システム「スバック」・水の寺院群・ヒンドゥー寺院の複合体だ。2012年のUNESCO世界文化遺産登録では、バリ島内の4地区が対象区域として指定された(プラ・タマン・アユン寺院、プラ・ウルン・ダヌ・バトゥル寺院・バトゥル湖周辺、パクリサン川流域、ジャティルウィ棚田地区)。
登録の根拠となった概念「トリ・ヒタ・カラナ」はバリ・ヒンドゥーの哲学で、「人と神・人と人・人と自然の三つの調和」を意味する。スバックはこの哲学を農業管理システムとして具現化したものとされる。
スバック——9世紀から続く農業・宗教・社会の統合
スバックはバリの水田灌漑を管理する農民組合だが、単なる農業組織ではない。各スバックは「水の寺院」(パクリサン川流域最大のものは「プラ・ウルン・ダヌ・バトゥル」)を中心として組織され、水の配分スケジュール・共同作業の割り当て・祭祀の義務が一体として管理される。
水の配分ルールは紀元9世紀の碑文にまで遡る記録があり、1,000年以上にわたって機能し続けてきた。現在もバリ島には約1,200のスバックが存在し、約20万ヘクタールの水田を管理している。組合員の義務には農作業だけでなく、寺院の維持・祭礼への参加が含まれる。
緑の革命とスバックの反証
1970年代、インドネシア政府はアジア各地で推進されていた「緑の革命」をバリでも導入した。高収量品種の稲(IR8等)・化学肥料・農薬をセットで普及させ、伝統的な植え付けスケジュール(スバックが管理していた)を破棄して各農家が年中通年で収穫できる「連続栽培」に切り替えることを推奨した。
当初は収量が増加した。しかし2〜3年後から問題が顕在化した。イネの害虫(特にウンカ類)が爆発的に増殖し始めたのだ。
スバックの伝統農法では、各水田が同期して一定期間「休閑(害虫の卵が孵化できない乾燥状態)」に入るスケジュールが組まれていた。これが害虫の生活環を断ち切るメカニズムとして機能していた。連続栽培はこの「同期した休閑」を破壊し、害虫に年中連続した食料源を提供する結果になった。
米国の生態人類学者J・スティーブン・ランシングは1980〜90年代にスバックの水管理ネットワークと病害虫の発生を数理モデルで分析し、「水の寺院ネットワークが最適な灌漑スケジュールを進化的に実現していた」ことを示した。農業開発機関が「非合理的な宗教的慣行」として排除しようとしたシステムが、実は合理的な害虫管理として機能していたという結論は、農業開発援助の方法論に広範な影響を与えた。
観光化と景観の矛盾
バリはインドネシア最大の国際観光地であり、棚田景観はその観光資源の核心だ。「ジャティルウィの棚田」や「テガラランの棚田」は世界的に有名な写真スポットとなっている。
しかしUNESCO登録後に観光客が増えるほど、実際の棚田がホテル・ヴィラ・レストランに転換される速度も上がっている。棚田を見に来る観光客のための宿泊施設が棚田を潰す、という構造的な矛盾が発生している。農業従事者の高齢化と若年層の観光業への転職も進んでおり、スバックのメンバー数自体が減少傾向にある。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 1194 |
| 登録年 | 2012年 |
| スバック組合数 | 約1,200(現在) |
| スバックの起源 | 9世紀(碑文記録) |
| 登録面積(4地区合計) | 約19,500ヘクタール |
| 緑の革命導入 | 1970年代 |
| ランシング研究発表 | 1987〜1991年 |