バース市街:ローマの神殿浴場からジェーン・オースティンの社交場まで
イングランド南西部。温泉湧出地に1世紀にローマ人が「アクアエ・スリス」神殿浴場を建設。18世紀に「バース石」の金色の石灰岩で統一されたジョージアン建築(ロイヤル・クレセント)が建設され、英国貴族の社交場として繁栄。ジェーン・オースティンが「ノーサンガー・アビー」などを執筆——オースティン文学の舞台。ローマ浴場の湯は現在も飲めるが、1978年に女性の死亡事故が発生して飲用禁止になった。
- 観光業による旧市街の商業化と居住機能の低下
- 18世紀建築のバース石(石灰岩)の酸性雨による風化
- エイヴォン川の洪水リスク
遺産の概要
イングランド南西部サマセット州に位置するバース(Bath)は、天然の温泉湧出地を核として2,000年にわたり都市が発展してきた場所だ。ユネスコは1987年に「バース市街」を世界遺産に登録した。登録の理由は二層構造の遺産価値にある——1世紀のローマ時代の神殿浴場群と、18世紀のジョージアン様式で統一的に開発された都市景観という、時代的に大きく隔たった二つの「完成度の高い人工的環境」が同一の場所に重なっているからだ。
温泉はエイヴォン川沿いの低地から湧出し、水温は年間を通じて約46°Cを維持する。英国でローマ時代の温泉施設が完全な形で残っているのはバースのみであり、このこと自体が考古学的に稀有な価値を持つ。
アクアエ・スリス——ローマの神殿都市
ローマ人がブリタニアに到着した後、現在のバースの地を「アクアエ・スリス(Aquae Sulis、スリスの水)」と命名して整備を始めたのは1世紀後半のことだ。「スリス」はこの地の泉の守護神としてケルト人が信仰していた女神の名で、ローマ人は自分たちの鉱泉の女神ミネルヴァと習合させ「スリス・ミネルヴァ」として崇拝した。
神殿浴場複合施設(「ローマン・バース」)は神殿・大浴槽・サウナ・個室浴室など複数の建物から構成された大規模な施設だった。発掘により、ブリタニア各地やヨーロッパ大陸から参拝者が訪れた証拠——奉納品・碑文・コイン約12,000枚——が確認されており、一地域の温泉施設を超えた宗教的・医療的巡礼地として機能していた。
考古学的に特筆すべきは「呪いの書板(デフィクション・タブレット)」だ。鉛の薄板に「○○が私の外套を盗んだ」「私の恋人を罰してほしい」などと刻んで泉に投げ込む呪い板が130枚以上発見された——これによって2世紀〜4世紀のブリタニアの一般市民の日常的な怒り・悩み・欲望の一端を知ることができる。
18世紀の建設ブームとジョージアン都市
ローマ時代の浴場が1,000年以上忘れられていた後(中世には「ローマン・バース」の遺構は地下に埋没していた)、バースが再び脚光を浴びたのは18世紀のことだ。温泉の医療的効用が「科学的に認められた」ことを背景に、バースは英国上流階級の保養地・社交場として急速に発展した。
この開発を主導した人物が建築家ジョン・ウッド(父・子)と投資家リチャード・ナッシュだ。父ウッドが設計した「クイーンズ・スクエア」(1736年完成)と「ザ・サーカス」(1754年着工)、子ウッドが完成させた「ロイヤル・クレセント」(1774年完成)は、ローカルの石灰岩(バース石・ウーライト)の金色がかった暖色で統一された曲線建築として、世界的に著名なジョージアン建築の代表例となった。
バース石は柔らかいため加工が容易だが、強度は低く現代の酸性雨による侵食が問題となっている。18世紀の建築物が21世紀の大気汚染の影響で劣化するという時代を超えた損傷が進行中だ。
ジェーン・オースティンとバースの社交場
ジェーン・オースティン(1775〜1817)は父の赴任に伴い1801〜06年にバースに居住した。この時期に書かれた(または構想された)作品に『ノーサンガー・アビー』と『説得』があり、いずれもバースの上流社会を舞台とする。
オースティン研究者たちは彼女のバース時代の手紙から、彼女がこの都市の社交場文化に対して批判的・皮肉的なまなざしを持っていたことを読み取っている。「ノーサンガー・アビー」でのバースの描写は、表面的な社交の虚飾と階級意識の辛辣な観察として機能しており、単純な「バース賛歌」ではない。それでも「バースのジェーン・オースティン」という観光資源は盤石であり、市内にはジェーン・オースティン・センターが設置され、年間のオースティン祭りが開催される。
飲用禁止になったローマの湯
現在の「ローマン・バース」は博物館として公開されており、観光客は大浴槽を間近に見ることができる。かつては大浴槽の湯が湧出する一角で観光客が温泉水を飲むことができたが、1978年に少女の死亡事例が発生した。調査の結果、水中に「ナエグレリア・フォーウレリ(Naegleria fowleri)」というアメーバ性の脳炎を引き起こす微生物が検出され、以降ローマン・バースでの飲用は禁止されている。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 428 |
| 登録年 | 1987年 |
| 温泉水温 | 年間約46°C |
| 呪いの書板 | 130枚以上発見 |
| ロイヤル・クレセント完成 | 1774年 |
| オースティンのバース居住 | 1801〜1806年 |
| 飲用禁止措置 | 1978年(アメーバ性脳炎リスク) |