バース市街:2000年前のローマ浴場が今も60度の湯を湧かせる謎の温泉都市
イングランド南西部に位置するバース市街は、ローマ帝国時代の温泉施設「アクア・スリス」と18世紀ジョルジアン建築という二重の世界遺産的価値を持つ。地下深部から毎日100万リットルが湧出する天然温泉は、約1万年前に地中に浸透した雨水が地熱で温められたものとされ、ローマ人はここに壮麗な浴場と神殿を築いた。18世紀にはジョン・ウッド父子がパラディオ様式でロイヤル・クレセントやサーカスを設計し、ジェーン・オースティンも滞在してその社交文化を小説に描いた。
- 温泉水の過剰採取による湧出量減少リスク
- 観光客の増加による石材摩耗と保存環境の悪化
概要
イングランド南西部のエイヴォン川沿いに広がるバース市街は、ローマ時代の温泉遺跡と18世紀ジョルジアン様式の建築群が重層的に共存する稀有な都市である。1987年にユネスコ世界文化遺産に登録されたこの都市は、約2000年にわたって人々が温泉の恵みを享受し続けてきた生きた歴史の堆積だ。地下から湧き出す温泉水は現在も1日約100万リットルに達し、その熱源は約1万年前に地中深く浸透した雨水が地熱によって温められたものとされている。バース石灰岩(バース・ストーン)特有のハニー色が街並みを統一し、丘陵地形と相まって独特の都市景観を形成している。
アクア・スリス――ローマ浴場の遺産
紀元43年頃にローマ帝国がブリタニアを征服すると、彼らはすぐにこの温泉地を聖地と認識した。ケルトの女神スリスと同一視されたローマの智恵の女神ミネルウァに捧げられた神殿と浴場施設「アクア・スリス(Aquae Sulis)」は、ローマン・ブリテンを代表する宗教的・公共的建造物として発展した。現在のローマン・バース博物館に保存される浴場遺構は、大浴槽(グレート・バス)を中心に冷浴・温浴・蒸気浴の各室が配置された精巧な構造を示している。地下に今も保存されるオリジナルの鉛製パイプや、神殿に奉納された1万点以上の呪いの石板(デフィクシオ)は、当時の信仰と日常生活を生き生きと伝えている。4世紀末のローマ撤退後、施設は荒廃したが、18世紀の発掘調査でその全貌が明らかになった。
ジョルジアン建築――18世紀都市計画の結晶
17世紀末から18世紀にかけて、温泉保養地として再興したバースは急速な都市拡張を遂げた。この時代の都市建設を主導したのが建築家ジョン・ウッド(父)とその息子ジョン・ウッド(子)だ。父は古代ローマの広場概念をイギリス化したサーカス(1754年着工)を設計し、息子はその延長上に優雅な半円形テラスハウス「ロイヤル・クレセント」(1767〜1775年)を完成させた。いずれもパラディオ様式の柱廊と、バース産石灰岩の温かみある色調を活かしたファサードが特徴で、個々の住宅を宮殿のような統一外観でまとめ上げる革新的な設計手法を採用した。パルトニー橋(1769〜1774年)はアルノ川のヴェッキオ橋を模した店舗付き橋梁として知られ、バースの都市的洗練を象徴するランドマークとなっている。
ジェーン・オースティンと保護活動
1801年から1806年までバースに居住したジェーン・オースティンは、この都市を舞台に二つの小説を書いた。『ノーサンガー・アビー』ではバースの社交儀礼と若い女性の成長を、『説得』では没落した地方貴族がバースに移り住む様子を描き、18世紀末から19世紀初頭のバース社会を鋭く風刺した。現在、彼女が暮らしたゲイ・ストリートの建物の近くにはジェーン・オースティン・センターが設けられ、年間数万人の文学ファンが訪れる。世界遺産としての保護活動では、地下水脈の保全と観光客管理の両立が主要課題となっている。バース・アンド・ノース・イースト・サマセット評議会とイングリッシュ・ヘリテッジが連携し、石材の定期的な修復、入場者数の管理、温泉水採取量の監視を続けることで、2000年以上の歴史を持つこの温泉都市の価値を次世代に伝える取り組みが進められている。