ダマスカス旧市街:世界最古の継続居住都市が、内戦と放棄で朽ちる
「世界最古の継続居住都市」のひとつとして知られるシリアの首都。ウマイヤ朝の大モスク(705年建設)・バーザール・旧市街城壁が代表的遺産。2011年のシリア内戦では直接の戦場にはならなかったが、難民流入・インフラ崩壊・管理放棄によって遺産が深刻に損傷。国際社会がアレッポとともに「危機遺産」として注目する都市だ。
- シリア内戦によるインフラ崩壊と管理体制の喪失
- 難民流入による歴史建造物への過剰負荷
- 修復資金・専門人材の欠如
- 国際的監視体制の機能不全
遺産の概要
ダマスカスは「世界最古の継続居住都市」の候補として繰り返し言及される。紀元前3000年頃から人が定住を続けた証拠が残り、5,000年以上の連続する人類の生活の層が地下と地上に積み重なっている。現在のシリアの首都であり、ヘルモン山麓から流れるバラダー川の水を引いたオアシス都市として古代から戦略的重要性を持った。
旧市街の中心はウマイヤ朝が705年に建設した「ウマイヤド・モスク(大モスク)」だ。この建物はもとはキリスト教の聖堂で、さらにさかのぼればローマ時代のユピテル(ジュピター)神殿の跡地に建っている。同じ土地に異なる文明が異なる聖地を積み重ねてきた歴史の堆積を、この建物一棟で体感できる。
旧市街を南北・東西に貫く直線の道路は、ローマ時代の都市計画(カルドとデクマヌス)をそのまま踏襲している。スーク・ハミディーヤと呼ばれる屋根付きバーザールは19世紀末に建設されたが、その下のローマ時代の石畳が今も残る。
宗教と文明の交差点
ダマスカスはあらゆる中東の大帝国が通過し、支配し、去っていった場所だ。アラム人・アッシリア・アケメネス朝ペルシア・アレクサンドロス大王・セレウコス朝・ローマ帝国・ビザンツ帝国・ウマイヤ朝・アッバース朝・十字軍・サラディンのアイユーブ朝・マムルーク朝・オスマン帝国——いずれかの時代にダマスカスを支配し、建物を建て、壊し、また建てた。
ウマイヤ朝(661〜750年)のカリフたちはここを首都とした。ウマイヤド・モスクはイスラム建築の最初期の傑作のひとつであり、内部の黄金のモザイクは8世紀初頭の技術水準を示している。
旧市街の城壁は紀元前から存在するが、現在見られる城壁の大部分は13〜16世紀のアイユーブ・マムルーク時代のものだ。8つの古代の門のうち、「東の門(バーブ・シャルキー)」は現在もローマ時代の基礎構造を持つ。
内戦と「静かな崩壊」
2011年に始まったシリア内戦において、ダマスカス旧市街は直接の激戦地にはならなかった。しかしそれは「無傷だった」ことを意味しない。
戦闘が周辺地域に広がると、国内避難民が旧市街の空き家に流入した。本来の住民は逃げ出し、新しい居住者には歴史的建造物の維持管理の知識も動機もなかった。水道・電気インフラの維持が止まり、中庭式住宅(リヤド)に特有の排水システムが機能しなくなって湿気が建物を傷めた。修繕が行われないまま老朽化が進んだ。
UNESCOは2013年以降、繰り返し現地調査の実施と緊急保護措置の要請を出しているが、内戦状態では体系的な対応が不可能だった。ダマスカス旧市街の「危機」は爆弾による破壊ではなく、管理の放棄と静かな劣化によって進行している。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 20 |
| 登録年 | 1979年 |
| 推定最古居住年代 | 紀元前3000年頃 |
| ウマイヤド・モスク建設 | 705年(ウマイヤ朝カリフ、ワリード1世) |
| 前身建造物 | ビザンツ時代の聖ヨハネ教会 → ローマ時代のユピテル神殿 |
| 内戦開始 | 2011年 |
| 危機遺産現状 | 管理放棄・インフラ崩壊による継続的劣化 |