ヴァレッタ市街
聖ヨハネ騎士団(ホスピタル騎士団)が1566年に設計・建設した計画都市。世界初の全面グリッド型都市計画のひとつ。1942年の「マルタ包囲戦」では島全体がドイツ・イタリアの激烈な空爆に抵抗し、英国王ジョージ6世がマルタ島全体にジョージ十字章を授与——国家が市民向け勲章を受けた唯一の例とされる。
- 過密な観光開発と新興高層建築による景観破壊
- 地中海気候による石材の風化
- 老朽化したインフラ整備
- 観光業への経済依存と住民の流出
遺産の概要
ヴァレッタはマルタ島北東部、シュリバート半島の先端に位置する。面積わずか0.8平方キロメートルの半島全体が要塞化された城壁都市であり、現在もマルタ共和国の首都として機能している。人口は約6,000人だが、周辺地域を含む大ヴァレッタ圏は約35万人の都市圏を形成する。
聖ヨハネ騎士団(ホスピタル騎士団)は1565年のオスマン帝国による大包囲戦を辛くも退けた翌年、1566年に新しい要塞都市の建設を開始した。設計者はイタリア人軍事建築家フランシスコ・ラパレッリで、格子状の街路計画・堅牢な城壁・聖ヨハネ大聖堂をはじめとするバロック建築群が組み合わされた。後世に「世界初の完全グリッド型計画都市のひとつ」と評価される都市が地中海の小島に誕生した。
聖ヨハネ騎士団とマルタの歴史
十字軍時代にエルサレムで設立された聖ヨハネ騎士団は、ロドス島を失った後の1530年に神聖ローマ皇帝カール5世からマルタ島を拠点として与えられた。騎士団は1565年の大包囲戦(4か月間・オスマン軍4万人対騎士団・マルタ人守備兵6,000人)を凌ぎ切り、翌年ヴァレッタの建設を開始した。
聖ヨハネ大聖堂の内部はバロック装飾の極致であり、床全体が騎士たちの墓石(紋章付きの大理石)で覆われている。カラヴァッジョが1607〜08年にマルタに滞在した際に制作した「洗礼者聖ヨハネの斬首」(縦5m×横3.7mの大作)はここに現存する——カラヴァッジョの作品の中でも最大規模のものだ。
1942年マルタ包囲戦とジョージ十字章
第二次世界大戦中のマルタは、枢軸国(ドイツ・イタリア)にとって地中海制海権を争う上での最重要目標だった。1940年〜1942年、マルタは史上最大規模の航空爆撃を受けた。1942年だけで、マルタへの爆弾投下量はロンドン大空襲で英国全土が受けた年間投下量を超えたとされる。
食料・燃料・弾薬が枯渇する中、マルタ島民と守備隊は降伏を拒否し、補給船団が命がけで港に到達するたびに住民が歓声を上げた(「サンタ・マリア護送船団」1942年8月)。この島全体の抵抗に対し、英国王ジョージ6世は1942年4月15日に前例のない決断を下した——ジョージ十字章をマルタ島全体に授与したのだ。授与状には「私は、敵に立ち向かった不屈の勇気と精神力の証として、マルタ島の勇敢な人々に私の帝国の最高の名誉を授ける」と記されている。
「世界最小の首都」の現代的課題
ヴァレッタは2018年に欧州文化首都に選ばれ、大規模な改修と文化施設の整備が進んだ。しかし観光業の急増は副作用をもたらしている。市街中心部では短期賃貸(民泊)用への転用が相次ぎ、長期居住者の人口が減少している。
近年、ヴァレッタ港を見下ろす丘に高層ホテル・マンション建設計画が持ち上がり、UNESCO世界遺産の「際立った普遍的価値」を損なうとの批判を受けた。マルタ政府は観光収入への依存と遺産保護のバランスを取り続けることを余儀なくされている。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 131 |
| 登録年 | 1980年 |
| 建設開始 | 1566年(聖ヨハネ騎士団長ジャン・ド・ラ・ヴァレット) |
| 設計者 | フランシスコ・ラパレッリ(軍事建築家) |
| 市街面積 | 約0.8平方km |
| ジョージ十字章授与 | 1942年4月15日(マルタ島全体へ) |
| カラヴァッジョ現存作 | 「洗礼者聖ヨハネの斬首」(聖ヨハネ大聖堂) |