鼓浪嶼:ピアノが鳴り響く、13か国が共存した租界の島
厦門市沖の小島(面積1.87km²)。1843年の南京条約後に英国・米国・日本など13か国が設けた国際共同租界として発展し、各国の建築様式が混在する「建築の百科事典」となった。「ピアノの島(鋼琴之島)」として知られ、現在も島内に1,000台以上のピアノが存在するとされる。日本軍が1938〜1945年に占領した歴史を持つ。
- 観光地化による住民減少とゴーストタウン化
- 建築物の不適切な修復・改造
- オーバーツーリズム
遺産の概要
鼓浪嶼(グーラン島、あるいはコロンス島)は福建省厦門市の厦門島南西岸から約600mの海峡を隔てた小島。面積1.87km²、現在の居住人口は約1万3千人。1843年の南京条約(第一次アヘン戦争の講和条約)によって厦門が開港されたことを契機に、英国・米国・日本・オランダ・スペイン・ポルトガルなど13か国の外国人居留地が設けられ、19世紀後半から20世紀前半にかけて国際共同租界として発展した。
島内には現在も1,000棟以上の歴史的建築物が残り、ゴシック・ロマネスク・バロック・コロニアル・閩南(ミンナン)伝統様式など多様な建築スタイルが混在する。この「スタイルの混合体」が「建築の百科事典」と称される所以だ。
13か国の競演:建築の百科事典
租界期の鼓浪嶼では、各国領事館・教会・学校・商館が競うように建設された。英国はアングロ・インディア様式のコロニアル建築を持ち込み、米国はプロテスタント系宣教師が教育施設を設けた。日本は1895年の下関条約後に最大勢力となり、1920年代には島の商業の中心を握っていた。
一方、地元の福建系商人(閩南人)たちも海外で得た財を持ち帰り、中国伝統建築と西洋様式を融合した「騎楼(アーケード付き建築)」を建設した。これら閩南人が建てた折衷建築はフィリピン・シンガポール・マレーシアの華僑建築と共通する要素を持ち、「南洋建築の源流」ともいわれる。
ピアノの島:なぜ鼓浪嶼に音楽が根付いたか
「鋼琴之島(ピアノの島)」という異名は誇張ではない。19世紀後半、キリスト教宣教師が持ち込んだピアノが、島の富裕層の間で急速に普及した。当時の中国ではピアノは西洋文明・近代教育の象徴として捉えられており、子供にピアノを習わせることが上流家庭のステータスだった。
この音楽的土壌から生まれた著名なピアニストには、中国近代音楽史に名を残す殷承宗(中国初の国際的ピアノコンクール優勝者)などがいる。現在も島内の鼓浪嶼ピアノ博物館には世界各国の希少なアンティークピアノが展示され、路地を歩けばどこかからピアノの音が聞こえてくるという環境が維持されている。
日本占領と「中立地帯」の終焉
1937年の日中戦争勃発後も、鼓浪嶼の国際共同租界は列強の外交的合意によって「中立地帯」としての地位を保った。周辺の厦門が日本軍に占領された後も、島内の外国人居留地は一時的に難民の避難先となった。
1938年5月、日本軍は国際租界を無力化する形で鼓浪嶼を占領。以後1945年まで日本の軍政下に置かれ、各国領事館は機能を停止した。この占領によって百年にわたる「多国間が共存する中立的な島」という実験は終焉した。UNESCO世界遺産の登録申請書には、この占領の歴史が「負の遺産としての記録」として明記されている。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 1541 |
| 登録年 | 2017年 |
| 島の面積 | 1.87km² |
| 歴史的建築物の数 | 1,000棟以上 |
| 租界期の参加国数 | 13か国 |
| 島内のピアノ数 | 1,000台以上(推定) |
| 日本占領期間 | 1938〜1945年 |