エルサレム旧市街と城壁:3宗教の聖地0.9km²に封じ込められた世界最古の政治的爆弾
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という世界人口の半数以上が信仰する3宗教の核心聖地が、わずか0.9km²に共存する。1981年にユネスコ世界遺産に登録されたが、申請国は「ヨルダン」であり、イスラエルは反対した。神殿の丘はイスラエルが実効支配しつつもヨルダンが宗教的管轄権を持つという二重構造が現在も続く。危機遺産リスト入りの「最も政治的な聖地」。
- イスラエルによる東エルサレムの入植地拡大と建設工事
- 神殿の丘周辺での発掘・開発による遺構への物理的損傷
- 政治的・宗教的緊張による観光客の安全確保の困難
- 老朽化したインフラと過密状態による歴史的建造物の劣化
遺産の概要
エルサレム旧市街と城壁は、イスラエルが実効支配する東エルサレムに位置する。現在の城壁はオスマン帝国時代の16世紀に建設されたものだが、内部に封じ込められた歴史は3000年以上に及ぶ。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という世界人口の55%以上が帰依する三大宗教がそれぞれの「最重要聖地」を0.9km²という極小空間に抱え、現在も毎日数万人の巡礼者と観光客が訪れる。1981年ユネスコ世界遺産に登録されたが、申請したのはヨルダンであり、イスラエルは登録に反対した。翌1982年には危機遺産リストに加えられ、40年以上にわたってその状態が続く「世界で最も政治的な世界遺産」である。
ヨルダンの申請という逆説——1981年登録の政治的背景
世界遺産の申請は通常、当該遺産が位置する国が行う。しかしエルサレム旧市街は「ヨルダン」によってユネスコに申請された。この一見奇妙な事実には、20世紀中東政治の深層が刻まれている。
1948年の第一次中東戦争でヨルダンは東エルサレムを占領し、1967年の第三次中東戦争(六日間戦争)でイスラエルがそれを占領した。イスラエルは1980年にエルサレム全域を首都と宣言する「エルサレム基本法」を制定したが、国際社会の大多数はこれを認めていない。国連安保理は同法を無効と宣言する決議476・478を採択した。
こうした文脈の中で、ヨルダンは1981年に東エルサレムへの領有権を放棄する前段階にありながらも、旧市街の世界遺産申請を行った。これはパレスチナ・アラブ側の権利主張を国際社会に認知させる外交的手段であり、ユネスコはイスラエルの反対を押し切って登録を決定した。米国はこの決定に抗議し、ユネスコ分担金の支払いを一時停止するという前例のない措置を取った。
翌1982年の危機遺産リスト入りの理由は、「イスラエルによる東エルサレムの実効支配と変更が旧市街の普遍的価値を脅かす」というものだった。40年を超えて危機遺産リストに留まっているのは、政治的解決が一切見通せないためである。
神殿の丘——世界で最も複雑な主権の「多重構造」
旧市街の中心に位置する神殿の丘(ユダヤ名:ハル・ハバイト、アラビア語名:ハラム・アッシャリーフ)は、面積約14ヘクタールのプラットフォームの上に成立している。このプラットフォーム自体がユダヤ第二神殿時代(紀元前516年〜紀元70年)にヘロデ王が拡張した人工の台地だ。
現在の管理体制は以下のような「多重構造」になっている。まず物理的な支配権はイスラエル国防軍とイスラエル警察が持つ。しかし神殿の丘に設置されたアル=アクサー・モスクと岩のドームの管理・維持はヨルダン政府が設置したイスラム宗教財団(ワクフ)が担う。この「ヨルダンの管轄権」は1994年のイスラエル・ヨルダン平和条約で明示的に確認された。
ユダヤ教徒にとって神殿の丘は最大の聖地だが、現在イスラエル政府はユダヤ教徒の同地での礼拝を公式に禁止している(実際には非礼拝的訪問は許可)。イスラム教側はユダヤ教徒の存在自体を「冒涜」と見なし、訪問に際して度々暴力的衝突が生じる。嘆きの壁(西の壁)はユダヤ教徒の礼拝場所として認められているが、これは神殿そのものではなく、ヘロデ王の台地の外壁の一部に過ぎない。
2000年のアリエル・シャロンによる神殿の丘訪問は第二次インティファーダ(パレスチナ民衆蜂起)の引き金の一つとなった。聖地の「誰が・どのように訪問するか」という問題が、即座に大規模暴力につながり得るという意味で、神殿の丘は現在も世界で最も高度な政治的爆発物である。
岩のドームとアルメニア地区——知られざる2つの側面
岩のドーム(Dome of the Rock)は691年にウマイヤ朝のカリフ、アブドゥルマリクによって完成した建造物だ。現在も金色に輝くドームはエルサレムの象徴的景観を形成しているが、この建物は「モスク」ではなく、預言者ムハンマドが昇天した岩(Foundation Stone)を覆うための「聖廟」として建設された。建築様式はビザンツ建築を直接継承しており、当時の熟練したキリスト教徒の職人が建設に関わったと考えられている。
旧市街の4つのクォーター(地区)のうち、最も見落とされがちなのがアルメニア地区だ。5世紀から存在するエルサレムのアルメニア人コミュニティは、20世紀初頭のアルメニア人大虐殺の生存者が流入したことで強化された。アルメニア総主教区はオスマン帝国時代から継続する自治的文化共同体を維持し、独自の学校・図書館・教会を持つ。約2000人のアルメニア系住民が現在もアルメニア地区で生活を続けている。
聖墳墓教会はイエス・キリストの処刑・埋葬・復活の場とされるキリスト教最大の聖地だが、教会の管理は6つの異なるキリスト教宗派(カトリック、ギリシャ正教、アルメニア正教、コプト、エチオピア、シリア正教)が分割して共有する。入口の鍵はイスラム教徒の一家族が代々保管するという慣習が18世紀から続いており、「宗派間の中立者」として機能している。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 148 |
| 登録年 | 1981年 |
| 申請国 | ヨルダン(イスラエルは反対) |
| 危機遺産リスト入り | 1982年(登録翌年・以降継続) |
| 旧市街面積 | 約0.9km² |
| 主要聖地数 | 嘆きの壁・神殿の丘・聖墳墓教会・岩のドーム・アル=アクサー・モスクなど220以上の歴史的建造物 |
| 神殿の丘管轄 | 物理的支配:イスラエル、宗教的管轄:ヨルダンワクフ(1994年平和条約で確認) |