チョガ・ザンビル:砂漠に眠る3200年前の天空神殿の逆説
イラン南西部のフーゼスタン州に位置するチョガ・ザンビルは、エラム文明が紀元前13世紀に建設したジッグラト(聖塔)を中心とする古代宗教都市の遺跡である。メソポタミア以外では最もよく保存されたジッグラトとして知られ、現在でも高さ約25メートルが残る(建設当初は約50メートルあったとされる)。エラム王ウンタシュ=ナピリシャが神々のために建設したこの聖域は、エラム文明の頂点の一つを示す記念碑であり、1979年にイランで最初にユネスコ世界遺産に登録された遺跡の一つである。完成されることなく放棄されたという謎も残る。
- 塩類化による日干しレンガの劣化と表面剥落
- イラクとの近接地域に位置するため歴史的に紛争の影響を受けてきた
遺産の概要
チョガ・ザンビルはイラン南西部のフーゼスタン州に位置し、スーサ(シュシュ)の南東約40キロメートルにある。「チョガ・ザンビル」はロル語で「かご状の丘」を意味し、上空から見るとジッグラトの段々が重なったシルエットがかごの形に見えることに由来する。エラム王ウンタシュ=ナピリシャが紀元前1250年頃に建設を開始したこの聖域は、エラムの神々、特に主神インシュシナクと女神キリリシャに捧げられた。単なる神殿ではなく、複数の神殿、王宮区域、広大な都市域を含む一大宗教的聖域として計画されたが、ウンタシュ王の死後に放棄され、一般の居住地としては機能しなかったと考えられている。1979年、イランで最初にユネスコ世界遺産に登録されたサイトの一つとして認定された。
ジッグラトの建築と工学
チョガ・ザンビルのジッグラトは現在5段のうち2段半ほどが残り、高さは約25メートルを測る。建設当初の高さは約50〜52メートルと推測されている。ジッグラトは140,000平方メートルの広さを持つ内聖壁に囲まれており、その外側にはさらに外聖壁が巡らされている。建材として使われた日干しレンガには、エラム語のくさび形文字でウンタシュ王の名と神への奉納文が刻まれており、数万個のレンガそれぞれに銘文を刻むという前例のない作業が行われた。また、ジッグラトの各段の垂直面には一定の間隔で窪みが設けられており、これは装飾的効果だけでなく、日干しレンガの乾燥時の収縮による亀裂を防ぐ機能的役割も果たしていたと見られる。
エラム文明の独自性
エラムはメソポタミアと並び、最古の人間文明の一つとして紀元前3000年頃に独自の文字(エラム原文字・エラム線形文字)を持ち、独自の王朝が続いた。エラム語はドラヴィダ語族に近い可能性が指摘されており、メソポタミアのセム語族とは全く異なる言語系統を持つ。チョガ・ザンビルで発見された遺物(ガラス製品、象牙細工、金属製品など)は、エラムがメソポタミア、インダス文明、アナトリアとの広範な交易ネットワークの中心であったことを示す。エラム神殿の平面計画は他のメソポタミア神殿と異なる独自の形式を持ち、外部の影響を受けながらも独自の宗教的・建築的伝統を維持したことが明らかである。
塩害との戦いと保全
チョガ・ザンビルが直面する最大の保全上の問題は塩類化である。フーゼスタン平原の地下水には高濃度の塩分が含まれており、毛細管現象によって日干しレンガの内部に塩分が浸透し、乾燥時の結晶化によってレンガ表面が剥落する現象が進行している。発掘後に露出した部分は特に劣化が速く、1979年の発掘・登録以来、相当量の表面が失われた。イラン文化遺産観光クラフト機構とイタリアやフランスの保全専門家チームが保全プロジェクトを実施しているが、年間の乾燥・降雨サイクルによるレンガへのダメージを根本的に止める技術はまだ確立されていない。イラン・イラク戦争(1980〜88年)の際には遺跡が戦闘地域に近接したため、保全活動が中断された時期もあった。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 登録年 | 1979年 |
| 登録基準 | (iii)(iv) |
| 所在地 | イラン・フーゼスタン州 |
| 時代 | 前13世紀(エラム中期) |
| カテゴリー | 文化遺産 |