ウィーン歴史地区:ハプスブルクの帝都が「危機遺産」に落ちた日
ドナウ川流域に栄えたハプスブルク家の帝都。シュテファン大聖堂・ホーフブルク宮殿・国立オペラ座が集中する「音楽の都」は、2017年に高層ビル建設計画を理由に世界遺産の危機遺産リストに加えられた。世界遺産都市に超高層ビルを建てることへの国際社会の警鐘であり、一方でナチス時代にユダヤ人音楽家が大量追放・殺害された暗い歴史も刻む。
- 高層ビル建設計画による景観破壊
- オーバーツーリズム
- 都市開発と歴史的景観の調和問題
遺産の概要
ウィーン歴史地区は、ドナウ川流域に広がるオーストリアの首都・ウィーンの中心部を対象とする。13世紀にハプスブルク家が拠点を置いて以来、500年以上にわたって神聖ローマ帝国・オーストリア帝国・オーストリア=ハンガリー二重帝国の政治的中心として機能した都市だ。
12世紀に建設が始まり16世紀に現在の姿となったシュテファン大聖堂、1279年から帝国解体まで皇居として使われたホーフブルク宮殿、1869年開業の国立オペラ座(ウィーン・フィルの本拠地)——これらが半径1キロ圏内に密集するのがウィーン旧市街の特徴だ。
19世紀後半のフランツ・ヨーゼフ1世治世下に整備された「リングシュトラーセ(環状道路)」沿いには、国会議事堂・市庁舎・ブルク劇場・美術史博物館・自然史博物館が連なり、帝国の威容を現在も示している。
「音楽の都」とその影
ウィーンがハイドン・モーツァルト・ベートーヴェン・シューベルト・ブラームス・マーラー・シェーンベルクを育てたのは事実だ。18〜20世紀初頭、ここはヨーロッパの音楽の集積地だった。
しかし1938年3月のアンシュルス(ドイツとの合邦)以降、状況は一変する。ウィーンのユダヤ系音楽家・作曲家・指揮者の多くが職を失い、国外へ追放された。アルノルト・シェーンベルクはアメリカへ、エーリヒ・クライバーはアルゼンチンへ逃れた。逃げることができなかった者たちは強制収容所で命を落とした。
「誰がウィーンの音楽を作ったか」と同時に、「誰がウィーンの音楽から消えたか」を問わなければ、この都市の音楽史は半分しか語られない。
2017年:高層ビルと世界遺産の衝突
2017年、UNESCOはウィーンを世界遺産の危機リストに追加した。直接の原因は、ウィーン市がドナウ川沿いの再開発地区「ウィーン中央駅周辺エリア」に高さ200メートルを超える高層ビル建設を承認したことだ。
UNESCO世界遺産委員会の判断は明快だった——歴史地区の「顕著な普遍的価値(OUV)」の根拠のひとつである「バロック都市景観の完全性」が、超高層建築によって損なわれる。このまま開発が進めば、世界遺産登録の取消しを勧告する可能性があると警告した。
ウィーンにとってこれは深刻な政治問題になった。世界遺産の名称は都市ブランドと観光収入に直結する。オーストリア政府とウィーン市は開発計画の修正協議を開始し、景観への影響を最小化する設計変更が求められることになった。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 1033 |
| 登録年 | 2001年 |
| 危機遺産リスト入り | 2017年 |
| 主要な危機の原因 | 高層ビル建設計画(ウィーン中央駅周辺再開発) |
| 主要建造物 | シュテファン大聖堂(建設開始12世紀)、ホーフブルク宮殿、国立オペラ座(1869年開業) |
| 歴史的暗部 | ナチス・ドイツ合邦(1938年)後のユダヤ人音楽家の大量追放・殺害 |