ブダペスト:ナチスが橋をすべて爆破して逃げた「ドナウの真珠」
ドナウ川の両岸に広がる「ブダ(西岸の丘)」と「ペスト(東岸の平地)」が1873年に合併して生まれた二重都市。ブダ城・聖イシュトヴァーン大聖堂・国会議事堂が代表的建造物。第二次世界大戦末期、撤退するナチス・ドイツ軍はドナウ川に架かる7本の橋をすべて爆破した。現在の橋はすべて戦後に再建されたものだ。
- 都市開発による景観変化
- オーバーツーリズム
- 老朽化した歴史建造物の維持管理
遺産の概要
ブダペストは、ドナウ川の西岸「ブダ」と東岸「ペスト」が1873年に合併して誕生した都市だ。西側のブダは起伏のある丘陵地帯で、東側のペストはドナウ川沿いの平地に広がる商業・行政の中心地——この地形上の対比が都市の性格を決定している。
ブダの丘の上に立つブダ城は13世紀に建設が始まり、ハプスブルク家の支配下でバロック様式に改築された。現在は美術館・博物館として公開されている。ドナウ川をはさんでペスト側から見るブダ城の夜景は「世界で最も美しい夜景のひとつ」として繰り返し取り上げられる。
1904年に完成した国会議事堂は、ゴシック・バロック・ルネサンスを折衷したネオゴシック様式で、高さ96メートルの中央ドーム(96はマジャール人のカルパチア盆地入植1000年の記念年1896年に由来)を持つ。
二重都市の誕生とマジャール人の歴史
ブダペストの地にはローマ帝国時代から都市が存在した。西岸には「アクインクム」というローマの植民市があり、現在でも遺跡が残る。9世紀末にマジャール人が中央ヨーロッパに定住し、11世紀にはハンガリー王国が成立した。
15世紀のブダは東中欧最大の都市のひとつとして栄えたが、1541年にオスマン帝国に占領され、150年間オスマンの支配下に置かれた。この時代の痕跡は市内に残る複数の温泉施設(ハンガリー語でフォルドー)にも見ることができる——オスマン時代に建設された浴場が現在も使われている。
1686年にハプスブルク家がオスマン帝国を駆逐して以降、ウィーンと並ぶ帝国の二番目の都として整備が進められた。
橋の爆破と再建
1944〜1945年のブダペスト包囲戦は、第二次世界大戦でも特に凄惨な市街戦のひとつとされる。ソ連・ルーマニア軍がブダを包囲し、市内に立て籠もるドイツ・ハンガリー軍との間で50日以上にわたる戦闘が続いた。
1945年1月、撤退を決めたドイツ軍はドナウ川に架かる7本の橋をすべて爆破した。くさり橋(1849年完成・ドナウ川最初の恒久橋)・マルギット橋・エルジェーベト橋、フリードリヒ橋——歴史的に重要な橋が次々と落とされた。
市民はドナウ川の対岸へ渡る手段をすべて失った状態で包囲戦の最終局面を迎えた。現在観光客が歩いてブダとペストを結ぶ橋はすべて戦後に再建されたものだ。くさり橋でさえ、見た目は19世紀の姿に再現されているが構造はまったく新しい。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 400 |
| 登録年 | 1987年 |
| 合併年 | 1873年(ブダ・オーブダ・ペストの合併) |
| 欧州大陸初地下鉄 | 1896年(世界2番目) |
| 国会議事堂完成 | 1904年 |
| 橋の爆破 | 1945年1月(7本すべて) |
| 再建完了 | 最後の橋(エルジェーベト橋)が1964年に完成 |