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HERITAGE // 世界遺産・人類の記録アーカイブ 文化遺産
HRG-270 2026-06-10

モスタル旧市街と旧橋地区:戦争犯罪として破壊され、復元された石橋の記憶

所在地 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、ネレトヴァ川沿い
時代 1566年(橋の建設)〜現在
UNESCO登録年 2005年
UNESCO基準 (vi)
保全状態 保全状態:良好
UNESCO ID #946 ↗
SUMMARY

1566年にオスマン帝国が建設した単アーチの石橋「スタリ・モスト(旧橋)」を中心とする歴史地区。ユーゴスラビア内戦中の1993年にクロアチア軍による意図的な砲撃で崩壊し、文化財破壊を戦争犯罪とした国際的な先例となった。2004年に元の石材を用いて再建。橋から川に飛び込むダイバーたちの伝統が今も続く。

⚠ 主な脅威
  • 観光圧力による旧市街の変質
  • 民族間の政治的緊張の継続
  • 地域経済格差による維持管理の困難
ボスニア・ヘルツェゴヴィナオスマン建築石橋戦争犯罪復元バルカン半島
セキュア通信ログ // HRG-270 AES-256
Dr.石神
スタリ・モストのアーチ径は29メートル、橋面の高さはネレトヴァ川水面から約21メートル。16世紀の石造単アーチ橋として当時世界最大級。使われた石材は地元産のテネリア石灰岩——乾燥すると硬化する性質を持つ
パッチ
1993年11月9日、クロアチア民族評議会軍(HVO)の砲撃で橋は崩落した。27年間立ち続けた橋が60発の砲弾を受けて川に落ちた。後のハーグ国際刑事裁判所では、文化財の意図的破壊が戦争犯罪として認定された
Dr.丹羽
再建に使われた石材は崩落時に川底から引き上げた元の石と、同じ採石場から切り出した新しい石を混ぜたもの。どこが元の石でどこが新材かは、表面を見ても分からない。それが意図的な設計判断だったというのが興味深い

遺産の概要

モスタルはボスニア・ヘルツェゴヴィナ南部、ネレトヴァ川の渓谷に位置する都市だ。「モスタル」という地名自体が「橋守(моstар)」を意味し、街のアイデンティティは文字どおり橋に根ざしている。

16世紀、オスマン帝国の統治下でこの地域は急速に都市化した。1566年、スレイマン大帝の時代の建築家ミーマール・ハイルッディンが設計した「スタリ・モスト(旧橋)」が完成する。アーチ径29メートル、高さ21メートルの石造単アーチ橋は、当時の土木技術の最高峰だった。橋の両端にはバザールや隊商宿が発展し、オスマン・バルカンの典型的な商業都市景観が形成された。


1993年の破壊と「文化財への戦争犯罪」

ユーゴスラビア解体に伴うボスニア紛争(1992〜1995年)において、モスタルはボシュニャク人(イスラム系)とクロアチア人の境界線に位置した。1993年11月9日、クロアチア民族評議会軍(HVO)がスタリ・モストに対して集中的な砲撃を行い、橋は崩壊してネレトヴァ川に沈んだ。

この行為はその後、旧ユーゴスラビア国際刑事裁判所(ICTY)において、軍事的必要性なき文化財の意図的破壊として戦争犯罪に認定された(2004年、スロボダン・プラリヤク将軍の事件)。世界遺産条約が定める文化財保護の理念が国際刑事法と接続された、歴史的な先例となった。


復元と「記憶の石」

1994年から国際社会による復元プロジェクトが始動した。2004年7月、スタリ・モストは再び川をまたぐ形で完成する。復元には元の設計図(オスマン帝国の建設記録)と、崩落時に川底から引き上げた石材の約半分が使用された。残りは元と同じ地元の採石場から切り出した新しいテネリア石灰岩で補われた。

石材がどれが元のもので、どれが新材かは意図的に区別されていない。「橋は橋として機能し、記憶の継続体として存在すべきだ」——この設計思想は、物理的な真正性よりも場所の記憶と継続性を重視するものだ。


ダイバーの伝統と生きた橋

スタリ・モストから川に飛び込む「ダイバー(Mostarski ronioci)」の伝統は、17世紀頃に始まったとされる。高さ21メートルからの飛び込みは勇気の証とされ、地元の若者たちが毎夏繰り広げるこの習慣は今も続いている。毎年行われる公式の飛び込み競技会「レドヴィタ(Ljetni mostarski skokovi)」は観客数千人を集める地域の祭典だ。橋は観光名所である以前に、今も生活と文化の中心として機能している。


記録メモ

項目内容
UNESCO ID946
登録年2005年
登録基準(vi)
橋の建設年1566年
崩壊日1993年11月9日
再建完成2004年7月
橋のアーチ径29メートル
橋の高さ(水面から)約21メートル
石材テネリア石灰岩(地元産)