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HERITAGE // 世界遺産・人類の記録アーカイブ 文化遺産
HRG-598 2026-06-10

サナア旧市街:2,500年の縦積み都市が内戦の爆撃で消えかけている

所在地 イエメン・サナア
時代 先イスラーム期〜イスラーム時代(紀元前5世紀〜現代)
UNESCO登録年 1986年
UNESCO基準 (iv) (v) (vi)
保全状態 危機遺産 ⚠
UNESCO ID #385 ↗
SUMMARY

2,500年以上の歴史を持つ世界最古の居住都市のひとつ。6〜9階建ての石造タワーハウスが密集する旧市街は「縦に積み上げたアラビアの村」と称され、103のモスク、14の公衆浴場、6,000棟超の建造物を擁する。2015年に始まったイエメン内戦でサウジアラビア主導連合軍が旧市街を空爆し、UNESCOが「戦争犯罪」として強く非難。現在も保護活動は事実上不可能な状態が続く。

⚠ 主な脅威
  • イエメン内戦(2015年〜)による空爆・砲撃被害
  • インフラ崩壊と経済的困窮による建造物の劣化・放棄
  • 大雨・洪水による伝統的土塗り建築の浸食
  • 人口増加と都市化による旧市街外縁部の無秩序な開発
イエメンアラビア半島イスラーム建築タワーハウス紛争地遺産世界最古都市
セキュア通信ログ // HRG-598 AES-256
Dr.石神
サナア旧市街には6,000棟超の建造物があり、そのうち103のモスクと14の公衆浴場が現存する。イスラーム征服以前から都市が存在したことを示す碑文が複数発見されており、紀元前5世紀には居住が確認されている。タワーハウスの最上階に設けられた「マフラジュ(応接室)」は採光と眺望を兼ね、アラビア半島の高層居住文化の洗練された形態を示している。
亜美
2015年の空爆以降、UNESCOとその緊急保護基金が被害状況を衛星画像で継続モニタリングしているが、現地への物理的アクセスはほぼ閉ざされている。ドローン測量や3Dスキャンデータを活用したデジタル保全が試みられているものの、電力・通信インフラの崩壊がリモートドキュメンテーションの精度を著しく低下させている。戦後復興に向けたBIM構築も凍結状態だ。
Dr.丹羽
タワーハウスの外壁を飾る白漆喰の幾何学模様「カマリーヤ」は、イスラーム幾何学紋様とプレイスラーム期のサバ王国建築意匠が融合した独自の表現だ。各家族が世代を超えて増築を繰り返す縦方向の拡張様式は、アラビア半島の部族的土地所有観念と直結している。内戦による住民の離散はこの生きた建築文化の継承者そのものを失わせつつある。

遺産の概要

サナア旧市街は、イエメンの首都サナアに位置する、2,500年以上の歴史を持つ世界最古の居住都市のひとつである。標高約2,200メートルの高地に広がる旧市街は、6〜9階建ての石造タワーハウスが密集し、「縦に積み上げたアラビアの村」とも称される独特の都市景観を形成している。103のモスク、14の公衆浴場(ハンマーム)、6,000棟を超える建造物が現存し、1986年にUNESCO世界文化遺産に登録された。しかし2015年に始まったイエメン内戦によって旧市街は空爆の標的となり、現在も「危機遺産リスト」に掲載されたまま保護活動が事実上停止した状態にある。

タワーハウス——世界に類を見ない「縦積み都市」の建築

サナア旧市街を特徴づける最大の要素は、塔のようにそびえ立つ石造の集合住宅「タワーハウス(ブルージュ)」である。下層階を玄関・倉庫・家畜小屋として使い、居住空間は徐々に上階へ積み重なっていく。最上階には「マフラジュ(مفرج)」と呼ばれる多窓の応接・娯楽室が設けられており、採光と通風を最大化しながら眺望を楽しむという、アラビア半島ならではの空間設計の頂点をなしている。

建材として使われるのは主に玄武岩と焼成レンガの組み合わせで、外壁には白漆喰で描かれた幾何学模様「カマリーヤ(قمرية)」が施されている。この装飾文様はイスラーム幾何学紋様と、かつてアラビア半島南部を支配したサバ王国(シェバ女王の王国)のプレイスラーム建築意匠が融合した独自の様式であり、他の地域のイスラーム建築には見られない特異な美学を示している。

注目すべきは、これらのタワーハウスの多くが単一の家族によって世代を超えて増築され続けてきたという点だ。アラビア半島の部族社会において土地は家族の共有財産であり、縦方向への拡張は子世代・孫世代が同じ土地に住み続けるための合理的解決策であった。こうした「生きた建築」の様式は、現在もなお旧市街の6,000棟超の建造物に痕跡を残している。旧市街全体が石造の迷路のように絡み合い、その密度と高さは中世ヨーロッパの城塞都市とも、アジアの城下町とも根本的に異なる空間体験を生み出している。旧市街の街路はスーク(市場)を中心として放射状・格子状に絡み合い、鍛冶・染物・香辛料・金銀細工など業種別に区画された専門市場の配置は、7世紀以来ほぼ変わらない構造を今に伝えていた。

内戦と空爆——UNESCOが「戦争犯罪」と非難した破壊

2015年3月、サウジアラビア主導のアラブ連合軍がイエメン内戦に介入を開始した。同年6月、連合軍はフーシ派(反政府武装勢力)の拠点となっていたサナア旧市街周辺に対して空爆を実施した。世界文化遺産の中心部にあたる地区が直接攻撃を受け、複数の歴史的建造物が倒壊・損傷した。

UNESCOはただちに声明を発表し、この空爆を「国際人道法および世界遺産条約の重大な違反であり、戦争犯罪に相当しうる行為」として強く非難した。これはUNESCOが世界遺産への攻撃に対して「戦争犯罪」という言葉を明示的に用いた数少ない事例のひとつである。国連安全保障理事会も同年7月に採択した決議2216号で文化財の保護を求めたが、戦闘は止まなかった。

内戦による直接被害に加え、経済封鎖と人道危機が深刻化したことで旧市街の住民が次々と避難・離散し、建造物の維持管理が放棄されるケースが急増した。伝統的なタワーハウスは土・石灰・木材を組み合わせた素材で建てられており、定期的なメンテナンスなしには急速に劣化する。大雨や洪水が発生するたびに外壁の漆喰が剥落し、構造材が腐食していく。国連人間居住計画(UN-Habitat)とUNESCOは衛星画像を用いたリモートモニタリングを継続しているが、現地への物理的アクセスは戦闘の激化と治安悪化によりほぼ不可能な状態が続いている。2022年に一時的な停戦が成立したが、旧市街の本格的な調査・修復作業は依然として再開されていない。

2,500年の歴史——シェバの女王からイスラームへ

サナアの起源は旧約聖書にも登場する「シェバの女王(サバ女王)」の伝説と深く結びついている。イエメン北部に栄えたサバ王国(前10世紀〜後3世紀)の重要拠点として、サナアは古代アラビアの乳香・没薬交易ルートの要衝であった。アラビア語の伝承によれば、サナアはノアの息子セムによって建設されたとされており、「サム(セム)の都市」を意味する地名説も存在する。

7世紀のイスラーム征服以降、サナアは急速にイスラーム都市として再編された。8世紀に建設されたジャーミア・アル=カビール(大モスク)はイスラーム世界でも最古の部類に入るモスクのひとつであり、初代カリフ・アブー・バクルの時代に遡る礎石が現存するとされる。旧市街の街路構造もこの時代に形成され、職人・商人の業種別に区画されたスーク(市場)が1,400年近くにわたって機能し続けた。

オスマン帝国による支配(16〜17世紀、19〜20世紀の2期)もサナアの都市構造に痕跡を残しているが、基本的なタワーハウスの様式はイスラーム征服以前から続く在地の伝統に基づいており、外来支配者の建築文化を選択的に取り込みながら独自性を保ち続けた。この継続性こそが登録基準(iv)(v)(vi)の核心であり、サナア旧市街が「人類の傑出した普遍的価値」を体現するとUNESCOが判断した根拠でもある。皮肉なのは、2,500年以上にわたりペルシャ・オスマン・植民地支配を生き延びてきたこの都市が、21世紀の内戦によって最大の危機を迎えているという逆説だ。

記録メモ

項目内容
UNESCO ID385
登録年1986年
危機遺産登録2015年(内戦勃発を受け緊急登録)
タワーハウス棟数約6,000棟以上(旧市街内)
モスク数103(旧市街内現存)
標高約2,200メートル
都市推定起源紀元前5世紀以前(サバ王国期)