ブハラ:シルクロードの十字路で1000年生き続ける謎の都
ウズベキスタン中部のゼラフシャン川流域に位置するブハラは、中央アジアにおけるイスラム文明の最重要都市の一つで、シルクロードの交易・文化・宗教の中心地として繁栄した。140以上の建造物が旧市街に残り、9〜17世紀のイスラム建築の発展を通観できる生きた博物館とも言える。サーマーン廟(9〜10世紀)、カラーンミナレット(1127年)、アルク城塞など、異なる時代の建造物が重層する都市景観はユネスコに認定された。かつて「知識の都」「東洋のローマ」と呼ばれ、イブン・スィーナーらが学んだ地でもある。
- 日干しレンガ建造物の老朽化と地下水位上昇による基礎の劣化
- 観光開発に伴う旧市街の真正性の希薄化
遺産の概要
ブハラはウズベキスタン中西部に位置し、首都タシュケントから西南西約450キロメートルに位置する古代都市である。紀元前よりオアシス都市として発展し、9〜10世紀のサーマーン朝のもとで文化・学術・宗教の中心地として黄金時代を迎えた。「聖なる都市」「知識の都」と称されたブハラは、イスラム世界全体から学者、詩人、商人を引き寄せ、医学者イブン・スィーナー(アヴィセンナ)、詩人ルーダキーなど多くの偉人がこの地で学び、活躍した。旧市街には140以上の歴史的建造物が残り、異なる時代の建築様式が都市の中で有機的に共存している。ユネスコへの登録は1993年で、「その歴史的建造物と都市構造はイスラム文明の傑出した表現である」と評価された。
建築遺産:9世紀から17世紀への旅
ブハラの建築遺産は約1000年にわたる時代の地層を形成している。最古の記念碑的建造物はサーマーン廟(9〜10世紀)で、焼成レンガを組み上げた立方体に円蓋を載せた構造は、イスラム建築史上最古の地上墓廟の一つとされる。12世紀のカラーンミナレット(高さ46メートル)はチンギス・ハンでさえその美しさに感銘を受けて破壊を免れたという伝説が残る。ティムール朝期(14〜15世紀)にはカラーンモスクとモイ・ムバラク・マドラサが建設され、ブハラはサマルカンドとならぶ中央アジアの建築文化の中心となった。シャイバーニー朝期(16世紀)のコウカルダシュ・マドラサはウズベキスタン最大のマドラサの一つとされる。
シルクロードの知識の都
9〜11世紀のサーマーン朝期、ブハラはイスラム世界最大の学術都市の一つとして繁栄した。当時のブハラには100以上の本屋があり、サーマーン朝の図書館は数十万冊の蔵書を誇ったとされる。医学、数学、天文学、哲学、詩学など多分野の学問が花開き、ペルシャ文学の礎を築いた詩人ルーダキーはここで活躍した。「医学の典範」を著したイブン・スィーナーもブハラで幼少期を過ごし、宮廷図書館で学んだとされる。この知的伝統は、9世紀にバグダードで起きた「翻訳運動」と並行してギリシャ・インド・ペルシャの知識をアラビア語・ペルシャ語で整理・発展させる作業に貢献し、後のヨーロッパのルネサンスにも間接的な影響を与えた。
保全の課題と現代のブハラ
ブハラの保全における最大の技術的課題は、日干しレンガ(パフサ)で建てられた建造物の劣化である。灌漑農業の拡大による地下水位の上昇が建造物の基礎を浸食し、多くの歴史的建造物で構造的な問題が生じている。また、旧市街の生活機能の変化も懸念材料で、住民の郊外移転による旧市街の空洞化と、過度な観光インフラ整備による真正性の損失が指摘されている。ウズベキスタン政府はユネスコや国際機関と連携した修復プロジェクトを複数実施しているが、「修復」が過剰な再建築になっているとの批判もある。2000年代以降の観光客増加は経済効果をもたらす一方で、土産物店やホテルの増加が旧市街の歴史的景観を変えつつある。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 登録年 | 1993年 |
| 登録基準 | (ii)(vi) |
| 所在地 | ウズベキスタン・ブハラ州 |
| 時代 | 紀元前〜現在(最盛期:9〜17世紀) |
| カテゴリー | 文化遺産 |