バビロン:空中庭園が「発見されていない唯一の世界七不思議」である都市
- ネブカドネザル2世が建設したバビロンには、世界七不思議に数えられる「空中庭園」が存在したとされるが、考古学的証拠が一切見つかっておらず、実在が疑問視されている。世界七不思議の中で唯一、物的遺構が確認されていない建造物だ。イラク戦争中にサダム・フセインが遺跡内に軍事基地を建設し、重大な損傷を与えた。
- 所在地・時代: イラク中部・ユーフラテス川流域(紀元前2300〜紀元前539年(バビロニア))
- 分類・保全状況: 文化遺産 / 危機遺産 ⚠
- 所在地:
- イラク中部・ユーフラテス川流域
- 遺産分類:
- 文化遺産
- 登録年:
- 2019年
- 保全ステータス:
- 危機遺産 ⚠
ネブカドネザル2世が建設したバビロンには、世界七不思議に数えられる「空中庭園」が存在したとされるが、考古学的証拠が一切見つかっておらず、実在が疑問視されている。世界七不思議の中で唯一、物的遺構が確認されていない建造物だ。イラク戦争中にサダム・フセインが遺跡内に軍事基地を建設し、重大な損傷を与えた。
- サダム・フセイン政権による遺跡内軍事基地建設(1980〜2003年)
- 2003年以降の米軍・多国籍軍によるキャンプ設置による損傷
- 地下水位上昇による基礎部分の劣化
- 略奪・無許可発掘
- 復元工事による本物の遺構の改変
遺産の概要
バビロンはイラク中部、バグダッド南方約80kmのユーフラテス川沿いに位置する古代都市の遺跡である。紀元前18世紀のハンムラビ王によって最初の全盛期を迎え、紀元前605〜562年のネブカドネザル2世の統治下で古代世界最大の都市のひとつとして繁栄した。
現在の遺跡では、イシュタル門(青い釉薬煉瓦で装飾された城門)・行列通り・ネブカドネザルの宮殿跡・メイン城壁などが確認されている。イシュタル門の正面部分は1900年代初頭にドイツの発掘隊によって解体・移送され、現在はベルリンのペルガモン博物館に展示されている。
空中庭園:実在しない世界七不思議
「バビロンの空中庭園」は古代ギリシャの著述家たちが記録した建造物で、段状のテラスに樹木を植えた人工庭園とされる。世界七不思議のうち、完全な形で現存するのはエジプトの大ピラミッドのみだが、他の6つは廃墟や遺跡が確認されている。唯一の例外が空中庭園だ。
バビロンの発掘調査(ドイツ隊・イラク隊)では、庭園に対応する構造物の物的証拠が何も見つかっていない。近年、英国の学者ステファニー・ダリーは「空中庭園は実はニネベ(アッシリア)に建設されたものであり、後にバビロンと混同された」という仮説を提唱している。
サダム・フセインによる「復元」という破壊
20世紀後半、サダム・フセイン政権はバビロンを「イラク文明の象徴」として政治利用した。1980年代から2003年まで続いた「復元事業」では、本物の古代遺構の上に新造の煉瓦壁を積み上げ、フセイン自身の名前を刻んだ煉瓦が使用された。この「復元」は考古学的文脈を無視したものであり、オリジナルの遺構との識別を困難にした。
さらに遺跡丘の上には大統領宮殿が建設され、2003年の多国籍軍侵攻後は遺跡内部がキャンプとして利用された。重機・車両・ヘリコプターの運用が古代の路面・構造物を広範囲に損傷させた。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 1571 |
| 登録年 | 2019年 |
| 危機遺産指定 | 2019年登録と同時(危機遺産リスト掲載) |
| 空中庭園 | 物証未確認・実在議論中 |
| イシュタル門 | 1930年代にベルリンへ移設(ペルガモン博物館) |
| フセイン時代の損傷 | 軍事施設・宮殿・「復元」による遺構改変 |
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