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HERITAGE // 世界遺産・人類の記録アーカイブ 文化遺産
HRG-082 2026-06-09

ハトラ:ローマ軍を2度撃退した要塞都市を、ISISがブルドーザーで破壊した

所在地 イラク北部・ニナワー州
時代 1〜3世紀(パルティア・アッシリア)
UNESCO登録年 1985年
UNESCO基準 (ii) (iii) (iv) (vi)
保全状態 危機遺産 ⚠
UNESCO ID #277 ↗
SUMMARY

直径2kmの円形城壁に囲まれたパルティア帝国の要塞都市。ローマ軍の包囲を2度撃退した難攻不落の城だったが、2015年にISISが遺跡をブルドーザーと爆薬で組織的に破壊した。「文化的記憶の抹消」として国際社会から非難を受けたこの破壊の全容は、2018年のISIS撃退後に初めて明らかになった。

⚠ 主な脅威
  • ISISによる組織的破壊(2015年)
  • ブルドーザー・爆薬による彫刻・柱廊・神殿の破壊
  • 破壊後の略奪
  • 修復の技術的・財政的困難
イラク中東パルティアISIS破壊された遺産危機遺産要塞都市
セキュア通信ログ // HRG-082 AES-256
Dr.石神
ハトラの円形城壁は直径2km——これは単純な防衛構造ではなく、都市全体を包む計画的な要塞設計だ。この設計がローマの攻城技術を2度にわたって無力化した。軍事建築としての評価がもっと語られるべき遺跡だと思う
パッチ
ISISの破壊映像を見ると、作業員たちが彫刻を工具で叩き壊し、ブルドーザーが柱廊を押し倒している。無差別な破壊ではなく、映像記録を作ることを前提とした演出的破壊だ。文化財破壊をプロパガンダとして使うという新しい戦術だった
牧野
ハトラが受けた損傷の本当の規模は、ISISが撤退した2018年まで外部から確認できなかった。戦闘が続く中で遺産が破壊されても、世界はリアルタイムで把握できない。その情報の空白こそが問題だ

遺産の概要

ハトラはイラク北部、モスルの南西約110kmに位置するパルティア帝国時代の都市遺跡である。紀元1〜3世紀に建設された直径約2kmの円形城壁が特徴的で、内部には神殿複合体・宮殿・商業施設が整然と配置されている。

都市は東西交易路の要衝に位置し、パルティア(イラン系)、アッシリア(アラム系)、アラブの文化が融合した独特の文明を育んだ。建築様式もローマ・ペルシア・ヘレニズムの混合であり、「古代世界の文化的十字路」として評価される。

ローマ軍を撃退した難攻不落の城

ハトラの名を歴史に刻んだのは、ローマ帝国との2度の戦いだ。

  • 紀元116〜117年: トラヤヌス帝によるパルティア遠征の際、ローマ軍がハトラを包囲。城壁の強固さと守備の巧みさの前に攻略を断念し撤退。
  • 紀元198〜199年: セプティミウス・セウェルス帝が20日間包囲を続けたが、やはり陥落させられず撤退。

「ローマ軍に2度攻めて2度守り切った都市」というのは古代世界においてきわめて稀なケースであり、ハトラの防衛設計の卓越さを示している。結局ハトラは3世紀にペルシアのサーサーン朝によって内部からの裏切りで陥落したとされる。

2015年:ISISによる組織的破壊

2015年3月、ISISはハトラを占領し、組織的な破壊を実施した。ブルドーザーで柱廊・壁を押し倒し、彫刻をハンマーで打ち砕き、建物を爆薬で爆破する映像をプロパガンダ動画として公開した。

破壊されたのは主に神殿群の彫刻・ファサード・正面装飾であり、都市の象徴的な文化財が重点的に標的にされた。ISISはこれを「偶像崇拝の撲滅」と説明したが、国際社会からは「文化的記憶の組織的抹消」として強く非難された。

2018年にイラク軍がISISを撃退して以降、調査が進み破壊の全容が判明しつつある。一部の彫刻・構造物は破壊を免れたが、遺産の核心部分に取り返しのつかない損傷が生じている。

記録メモ

項目内容
UNESCO ID277
登録年1985年
都市の特徴直径2kmの円形城壁・東西文化融合
ローマ軍撃退116〜117年(トラヤヌス帝)、198〜199年(セウェルス帝)
ISIS破壊2015年3月(映像公開済み)
ICOMOS評価破壊は「文化の浄化を目的とした犯罪」