バガンの仏教遺跡:1万棟の仏塔が林立する平原と、コンクリートで埋められた遺産
42km²の平原に1万棟以上の仏塔・寺院が林立した、かつて『100万のパゴダの都市』と呼ばれたパガン王国の首都。現存約3,500棟。1975年の大地震後にミャンマー政府がコンクリートを使用した素人修復を行い国際批判を受けた。2021年の軍事クーデター後、観光が激減し保護体制も不安定化している。
- ミャンマー軍政下での保護体制の不安定化
- コンクリート素人修復による真正性の損傷
- 地震リスク(1975年に続く地震の可能性)
- 観光収入激減による維持管理資金の枯渇
遺産の概要
バガン(旧称パガン)は、ミャンマー中部エーヤワディ川沿いに広がる42平方キロメートルの平原に、無数の仏塔・寺院・僧院が林立する遺跡群だ。
9世紀から13世紀にかけて栄えたパガン王国の時代、この地には1万棟以上の仏教建造物が建設されたとされる。最盛期には「100万のパゴダの都市」と呼ばれた。現存するのは約3,500棟で、これは平均して100メートルごとに仏塔が立つ密度に相当する。
建設の動機——徳の競争
バガンにこれほど多くの仏塔が建設された背景には、上座部仏教における「布施」の宗教的意義がある。仏塔の建立は王・貴族・商人にとって公徳(メリット)を積む行為とされ、歴代の王が競い合うように仏塔を建てた。
特に11世紀のアノーヤター王(パガン王国の統一者)・チャンシッタ王・アローシートゥ王の治世に建設が集中し、石造・煉瓦造の大型寺院から土台だけの小型仏塔まで、様々なスケールの建造物が同一平原に密集した。
1975年の地震とコンクリート修復問題
1975年7月8日、バガン一帯を直撃したM6.5の地震は多数の仏塔・寺院を損壊させた。ビルマ政府(当時のネ・ウィン軍事政権)は国際社会の援助を断り、独自の修復を行った。
この修復において、伝統的な煉瓦・漆喰の代わりにコンクリートが使用された。一部の仏塔は頂部に鉄骨とコンクリートの補強が加えられ、外観が「新品のように」復元された。
ユネスコをはじめとする国際保存機関は、素材の真正性(authenticity)が損なわれたとして強く批判した。「正確に修復するより見栄えの良い再建を優先した」という批判は現在も続いており、これがUNESCO登録が長年遅れた一因となった。
軍政下の危機
2021年2月のクーデター以降、ミャンマーへの国際観光は事実上崩壊した。バガンを訪れる外国人観光客は激減し、観光収入に依存していた遺跡周辺の地域経済も打撃を受けた。
国際機関との保護協力体制も機能不全に陥り、修復計画・調査研究が中断している。既存の修復不備に加え、維持管理資金の枯渇が長期的な劣化リスクを高めている。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 1588 |
| 登録年 | 2019年 |
| 遺跡面積 | 約42km² |
| 建造物総数(推計) | 1万棟以上(現存約3,500棟) |
| 1975年地震 | M6.5・多数損壊→コンクリート修復(国際批判) |
| 2021年以降 | 軍政下・観光激減・保護体制不安定 |