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HERITAGE // 世界遺産・人類の記録アーカイブ 文化遺産
HRG-335 2026-06-10
隠れた遺産 — 重要性は世界的だが、広く知られていない遺産の深掘り記録

バガンの仏教遺跡:1万棟の仏塔が林立する平原と、コンクリートで埋められた遺産

所在地 ミャンマー中部、エーヤワディ川沿い
時代 9〜13世紀(パガン王国)
UNESCO登録年 2019年
UNESCO基準 (iii) (iv)
保全状態 保全状態:要注意
UNESCO ID #1588 ↗
SUMMARY

42km²の平原に1万棟以上の仏塔・寺院が林立した、かつて『100万のパゴダの都市』と呼ばれたパガン王国の首都。現存約3,500棟。1975年の大地震後にミャンマー政府がコンクリートを使用した素人修復を行い国際批判を受けた。2021年の軍事クーデター後、観光が激減し保護体制も不安定化している。

⚠ 主な脅威
  • ミャンマー軍政下での保護体制の不安定化
  • コンクリート素人修復による真正性の損傷
  • 地震リスク(1975年に続く地震の可能性)
  • 観光収入激減による維持管理資金の枯渇
ミャンマー仏教仏塔パガン王国軍政危機遺産
セキュア通信ログ // HRG-335 AES-256
Dr.石神
1975年の地震後修復でコンクリートが使用されたのは、当時のビルマ(ミャンマー)政府が国際的な保存基準(バーラ憲章等)を無視したためとされる。修復された仏塔は外観上は『きれいになった』が、素材の非互換性で元の構造が内部から圧迫されるリスクが生じた
パッチ
2019年のUNESCO登録は、ミャンマー政府が長年申請を続けてきた末の登録だった。しかし2021年の軍事クーデターで状況が一変した。観光客は激減し、国際機関との連携も難しくなった。登録が保護につながるわけではないという実例
Dr.丹羽
バガンの仏塔群が11〜13世紀の100年余りに集中して建設されたのは、歴代の王が『より多くの仏塔を建てること』が徳を積む行為だと競い合ったから。巨大な仏塔ひとつより小さな仏塔多数——バガンの密度はその宗教的競争の産物だ

遺産の概要

バガン(旧称パガン)は、ミャンマー中部エーヤワディ川沿いに広がる42平方キロメートルの平原に、無数の仏塔・寺院・僧院が林立する遺跡群だ。

9世紀から13世紀にかけて栄えたパガン王国の時代、この地には1万棟以上の仏教建造物が建設されたとされる。最盛期には「100万のパゴダの都市」と呼ばれた。現存するのは約3,500棟で、これは平均して100メートルごとに仏塔が立つ密度に相当する。


建設の動機——徳の競争

バガンにこれほど多くの仏塔が建設された背景には、上座部仏教における「布施」の宗教的意義がある。仏塔の建立は王・貴族・商人にとって公徳(メリット)を積む行為とされ、歴代の王が競い合うように仏塔を建てた。

特に11世紀のアノーヤター王(パガン王国の統一者)・チャンシッタ王・アローシートゥ王の治世に建設が集中し、石造・煉瓦造の大型寺院から土台だけの小型仏塔まで、様々なスケールの建造物が同一平原に密集した。


1975年の地震とコンクリート修復問題

1975年7月8日、バガン一帯を直撃したM6.5の地震は多数の仏塔・寺院を損壊させた。ビルマ政府(当時のネ・ウィン軍事政権)は国際社会の援助を断り、独自の修復を行った。

この修復において、伝統的な煉瓦・漆喰の代わりにコンクリートが使用された。一部の仏塔は頂部に鉄骨とコンクリートの補強が加えられ、外観が「新品のように」復元された。

ユネスコをはじめとする国際保存機関は、素材の真正性(authenticity)が損なわれたとして強く批判した。「正確に修復するより見栄えの良い再建を優先した」という批判は現在も続いており、これがUNESCO登録が長年遅れた一因となった。


軍政下の危機

2021年2月のクーデター以降、ミャンマーへの国際観光は事実上崩壊した。バガンを訪れる外国人観光客は激減し、観光収入に依存していた遺跡周辺の地域経済も打撃を受けた。

国際機関との保護協力体制も機能不全に陥り、修復計画・調査研究が中断している。既存の修復不備に加え、維持管理資金の枯渇が長期的な劣化リスクを高めている。


記録メモ

項目内容
UNESCO ID1588
登録年2019年
遺跡面積約42km²
建造物総数(推計)1万棟以上(現存約3,500棟)
1975年地震M6.5・多数損壊→コンクリート修復(国際批判)
2021年以降軍政下・観光激減・保護体制不安定