メルヴ:かつて世界最大の都市だった場所が、モンゴルによって一夜で消えた
シルクロードの主要オアシス都市として栄えたメルヴは、12世紀には人口50万〜100万人を擁し「世界最大の都市」だったとする説もある。1221年、チンギス・ハンの息子トゥルイによる攻略で人口のほぼ全員が虐殺され、都市は廃墟となった。現在の遺跡には異なる時代の5つの都市が重なっており、ユネスコはこの地を「傑出した普遍的価値を持つ歴史的都市景観」として1999年に登録した。
- 灌漑農業による塩害と地下水位上昇による泥煉瓦構造物の崩壊
- 観光インフラ整備に伴う遺構の意図せぬ破壊
- 保護・調査リソースの慢性的不足
遺産の概要
現在のトルクメニスタン南東部、マリー州の砂漠地帯に広がるメルヴの遺跡は、5つの異なる時代の都市が層をなして存在する複合遺跡だ。
- エルク・カラ(鉄の城塞): 紀元前6世紀のアケメネス朝期に起源を持つ最古の核
- ギャウル・カラ(異教徒の城塞): ヘレニズム・パルティア・ササン朝期(前4世紀〜後7世紀)の大城壁都市。面積約800ヘクタール
- スルタン・カラ(王の城塞): セルジューク朝期(11〜13世紀)の最盛期都市。面積1,600ヘクタール以上
- アブドゥッラーハン・カラ: ティムール朝期(15〜16世紀)の再建都市
- バイラム・アリー・ハン・カラ: ブハラ・ハン国期(17〜19世紀)の最終期都市
この5層の都市が重なる総面積は4,000ヘクタール以上に及ぶ。
12世紀——「世界最大の都市」の繁栄
セルジューク朝スルタン・サンジャール(在位1118〜57年)の時代、メルヴは帝国の実質的な東方首都として機能した。
この時代のメルヴには:
- キャラバンサライ(隊商宿): シルクロードを往来する商人のための宿泊・取引施設が数十か所
- マドラサ(神学校): 少なくとも12校が記録されており、イスラーム世界最大級の学術都市のひとつ
- 図書館: イスラーム世界で最も充実した蔵書量の一つを誇ったとされる。2つの独立した大図書館の存在が記録に残る
- 製造業: 絹織物・綿織物・陶器・金属加工の主要産地
12世紀末の記録によれば、当時のメルヴには50万人以上が居住していた。この数字が正確であれば、当時の世界最大級の都市のひとつであったことになる。
1221年——一夜の消滅
チンギス・ハンのホラズム朝征服(1219〜21年)の最終局面、四男トゥルイがメルヴに迫った。
メルヴの総督マジッド・ムルク・アル・マルーズィーは抵抗を試みたが、城内の親モンゴル派が門を開けたとも伝えられる。いずれにせよ、メルヴは陥落した。
モンゴル軍の処理手順(ペルシア語年代記『ジャハーン・グシャー』より):
- 住民を城外に退去させ、平野に整列させる
- 職人・鍛冶師・熟練工を選別し、別途管理
- 貴族・富裕層を抽出し財産を接収
- 残りの住民を兵士に割り当て、各兵士が手で処刑
- 最後に僧侶・学者の一部を生かして文書作成に利用
「14万人が職人として連行された」「1,300,000人が殺された」という数字は誇張と見なされているが、都市が人口のほぼ全員を失ったことは再建の規模が極小だったことから確認できる。
スルタン・サンジャール廟——荒野に残る孤高の建築
メルヴの虐殺から逃れた唯一の主要建築物が、スルタン・サンジャール廟だ。
- 建設年: 1157年(スルタン・サンジャール死亡時)
- 構造: 方形の平面(27m×27m)に二重のドームを重ねた構造。外部ドーム径17m
- 高さ: 38m(外観)
- 素材: 焼き煉瓦。外装のターコイズブルーのタイルは一部現存
この廟がほぼ原形をとどめている理由は不明だ。モンゴル軍が意図的に残したとする説と、廟の構造的堅牢性が虐殺後の自然崩壊を防いだとする説がある。
現在、廟は遺跡の中央に一棟だけ立っており、周囲には民家も建物も存在しない。かつて人口100万近くが生活した都市の中心に、ドームだけが残っている。
「水の都市」の構造
メルヴがオアシス都市として機能し続けた最大の理由は、精巧な水管理システムにある。
カラクム砂漠の中央に位置するこの場所に都市が作られたのは、ムルガブ川の扇状地に広大な農耕可能地帯が存在したためだ。
- カリーズ(地下水路): 地下の不透水層を利用し蒸発を防ぎながら水を運ぶペルシア式水路。メルヴの地下には数百キロメートルにわたるカリーズ網が整備されていた
- リザーバー(貯水池): 都市内外に複数の大型貯水池
- 灌漑畑: 都市周辺に段階的な農業地帯が展開し、自給自足を超える食糧生産力を持った
モンゴル軍はこの水利システムを意図的に破壊した——戦闘後、残存した住民の再定住を不可能にするために。
記録メモ
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| UNESCO ID | 886 |
| 登録年 | 1999年 |
| 最盛期推定人口 | 50万〜100万人(12世紀) |
| 遺跡総面積 | 4,000ヘクタール以上 |
| 主要都市層数 | 5層(紀元前6世紀〜19世紀) |
| スルタン・サンジャール廟高さ | 38m |
| 1221年モンゴル侵攻 | トゥルイ(チンギス・ハン四男)による |